地域内情報誌。その歴史は、アメリカでは1834年にグリーリーが創刊した『ニューヨーカー』にさかのぼると考えられる。日本では大正時代、神戸に『神戸っ子』というリトル・マガジンがあったようであるが、詳細はわからない。タウン誌が社会に定着したのは1970年(昭和45)前後からである。
従来の雑誌ジャーナリズムと異なるのは、地方都市に発行所を置き、その周辺を取材し、広告主や読者もそのエリアにほぼ限定する。また発売・配布網も従来の出版取次と次元を異にし、書店のほか、ホテル、レストラン、プレイガイド、コーヒーハウスなど、ありとあらゆる地域の店や場所が読者との接点になる。当然そこをルートとする取材、読者からのアクセス(接近)もある。広告主もエリア内におもに開拓され、エリア内ではもっとも高密度の雑誌である。ただ内容が娯楽を除いて地域的なため、政治・社会問題から乖離(かいり)する傾向がある。
対象の地域(主として都市)の情報を掲載しているところから、旅行客に有用で、旧社会主義国など観光客を誘致している社会で活況を呈している。ただ、資本、経験とも弱体なので新陳代謝も激しい。
[田村紀雄]
『田村紀雄著『アメリカのタウン誌』(1981・河出書房新社)』▽『田村紀雄編『大学生の見たメディアのアントレプレナ(起業家)』(1997・NTTメディアスコープ)』
ある特定都市を活動範囲とし,独自の取材・編集・配布網をもつ,原則として有料の一般雑誌のこと。アメリカ,カリフォルニアのゴールドラッシュ(1849)のときがその草創であるといわれるが,著名なものでは1925年の《ニューヨーカーThe New Yorker》がその嚆矢(こうし)と考えられている。また《サン・ディエゴ・マガジン》(1948)で新しいシティ・マガジンのスタイルが確立され,《ニューヨーク・マガジン》(1968)以後,アメリカ各都市で本格化する。日本では大衆雑誌が急成長した大正末期から昭和初期にかけて,神戸,大阪,東京で地元雑誌が現れ,読まれた。その後,1955年の《銀座百点》と69年の《新宿プレイマップ》が注目される。後者が出てから,全国の主要都市にタウン誌が続々と現れた。日本とアメリカのタウン誌には共通点が多い。すなわち(1)従来の雑誌ジャーナリズムの枠外で特定の都市を勢力圏とし,また(2)飲食,娯楽,買物など生活上の興味が中心で政治的に無風であり,(3)地域の商・工業活動と密着していることなどである。このようなスタイルの雑誌は,日本とアメリカにおいて盛んである。
→ミニコミ
執筆者:田村 紀雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…欧米諸国において宗教各派の教会の説教誌が盛んであることと対照的な様相ともみることができる。1970年代ごろから日本の地方都市で数を増している〈タウン誌〉は,商店会や業界の広告によって経費をまかなって,その地特有の生活情報を主内容とすることにより,文化活動の支えとして雑誌機能に着目した例である。 低コストという利点からは,政治や経済の担当者がその勢力の浸透手段として雑誌を用いることもたやすいという結果も導かれる。…
…独立不羈の知識人にとって,マス・メディアの発達は,一面その文筆生活の手段を増加させたものの,その思想,学問,文学の心髄を吐露する小雑誌はいっそう不可欠になった。またマス・メディアがその広告効果・コストのために大部数主義をとるなかで,地域社会や小都市に基盤をおく小雑誌(タウン誌)や,特定の職業,階層,集団を対象とする小雑誌の必要も求められてきた。したがって雑誌ジャーナリズムは,大部数の商業雑誌と問題や対象を限定したミニコミへの両極へと発展していくであろう。…
※「タウン誌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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