石垣綾子(読み)いしがきあやこ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「石垣綾子」の意味・わかりやすい解説

石垣綾子
いしがきあやこ
(1903―1996)

評論家。明治36年9月21日東京に生まれる。自由学園卒業。雑誌社勤務を経て早稲田(わせだ)大学聴講生となり、大山郁夫(いくお)らの影響を受ける。1926年(大正15)渡米、メイドをしながらコロンビア大学で学ぶ。1929年(昭和4)ニューヨーク在住の画家石垣栄太郎と結婚。恐慌下の生活苦と闘いながら、満州事変勃発(ぼっぱつ)以降、日本軍国主義に対する反戦活動に従事、アグネス・スメドレーエドガースノーらとの交友を深める。1951年(昭和26)帰国。以後、女性の人生論を中心に評論活動を展開。とくに1955年2月『婦人公論』執筆の「主婦という第二職業論」における「主婦業だけで生活している女は独立した人間とはいえない」という主張は、以降数年にわたる初期主婦論争口火を切るものであった。おもな著書に『病めるアメリカ』(1953)、『夫婦――愛と惑いの記録』(1957)、『回想のスメドレー』(1967)、『さらば、わがアメリカ』(1972)など。パール・バック作品の翻訳も多い。

[布施晶子]

『石垣綾子著『我が愛 流れと足跡』(1982・新潮社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「石垣綾子」の解説

石垣 綾子
イシガキ アヤコ

昭和・平成期の評論家 (財)石垣記念館理事長。



生年
明治36(1903)年9月21日

没年
平成8(1996)年11月12日

出生地
東京・牛込

別名
別名=松井 はる(マツイ ハル)

学歴〔年〕
府立第一高女(現・白鷗高)卒,自由学園高等科卒,コロンビア大学

経歴
大正15年23歳で渡米。メイド、店員などの仕事をするうち、画家・石垣栄太郎と出会い昭和4年結婚。2児を恐慌下の耐亡生活で亡くす。夫に支えられ、戦争反対の著作・講演活動を続け、パール・バック、アグネス・スメドレーらの知己を得る。コロンビア大学に学び、26年帰国。戦後の日本女性の新しい生き方を提示する評論を次々と発表。30年に発表した論文「主婦という第二職業論」は以後7年におよぶ主婦論争の発端となる。和歌山県太地町に石垣栄太郎記念館を建設。著書に「病めるアメリカ」「回想のスメドレー」「わが愛 流れと足跡」「美しき出会い」などの他、石垣栄太郎の伝記「海を渡った愛の画家」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石垣綾子」の解説

石垣綾子 いしがき-あやこ

1903-1996 昭和-平成時代の評論家。
明治36年9月21日生まれ。石垣栄太郎の妻。大正15年渡米,コロンビア大でまなぶ。戦時中は日本軍国主義反対の運動に参加。昭和26年帰国,30年「主婦という第二職業論」で主婦論争の口火をきった。平成8年11月12日死去。93歳。東京出身。自由学園卒。著作に「病めるアメリカ」「回想のスメドレー」「わたしの快老学」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「石垣綾子」の解説

石垣 綾子 (いしがき あやこ)

生年月日:1903年9月21日
昭和時代;平成時代の評論家。石垣記念館理事長
1996年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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