地頭分村(読み)じとうぶむら

日本歴史地名大系 「地頭分村」の解説

地頭分村
じとうぶむら

[現在地名]福山市瀬戸せと町地頭分

山北さぼく村の東に位置し、東・南は長和ながわ村。中世長和庄を下地中分した際の遺名で、村の起立の古さをうかがわせる。なお当地は長和庄の西北部にあたるが、元徳元年(一三二九)一二月二二日付長井道可頼秀譲状(「閥閲録」所収福原対馬家文書)に「備後国長和庄西方地頭職事たゝし内々わけおく、北方となつく」、貞和五年(一三四九)八月二五日付長井貞頼譲状(同文書)に「孫太郎頼元惣領として知行すへき所ハ、ひんこの国長和庄四分一号北方地頭職、(下略)」とみえる北方が当地にあたると思われる。

近世の村高は元和五年(一六一九)六七七石余(備後国知行帳)、元禄一三年(一七〇〇)八二二石余(備前検地帳)

地頭分村
じとうぶんむら

[現在地名]鏡村的淵まとぶち

的淵川と吉原よしはら川の合流地西方、的淵川北岸にある。的淵川を境として南は領家りようけ郷となる。的淵村ともいう。「土佐州郡志」には地頭分郷一三村の一として的淵村がみえ、「東限草峰村、西限敷之山村、南限領家村、北限白岩吉原村、東西一里余南北十町余」と記し、西方三〇町に小村違野ちがいのがあるとする。

天正一七年(一五八九)の地頭分地検帳に「的淵名」とあり、名本分と公事分からなり、地積二町六反余のうち田は一町一反余・畠は五反余・屋敷六反余で、屋敷一三筆のうち一二筆は居屋敷で一筆は薬師堂床。名本は一六代二歩の「名本ヤシキ」に居住。同年の地頭分切畑地検帳には別に名本分・公事分の三町余の切畑が記され、切畑には大麦小麦豌豆が植えられていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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