日本歴史地名大系 「地頭分村」の解説
地頭分村
じとうぶむら
近世の村高は元和五年(一六一九)六七七石余(備後国知行帳)、元禄一三年(一七〇〇)八二二石余(備前検地帳)。
地頭分村
じとうぶんむら
的淵川と
天正一七年(一五八九)の地頭分地検帳に「的淵名」とあり、名本分と公事分からなり、地積二町六反余のうち田は一町一反余・畠は五反余・屋敷六反余で、屋敷一三筆のうち一二筆は居屋敷で一筆は薬師堂床。名本は一六代二歩の「名本ヤシキ」に居住。同年の地頭分切畑地検帳には別に名本分・公事分の三町余の切畑が記され、切畑には大麦・小麦・豌豆が植えられていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報