明王院(読み)ミョウオウイン

デジタル大辞泉 「明王院」の意味・読み・例文・類語

みょうおう‐いん〔ミヤウワウヰン〕【明王院】

滋賀県大津市にある天台宗の寺。山号は、北嶺山。開創は貞観元年(859)。開山は相応。比叡山の回峰行者の参籠所となり、葛川修験道の拠点ともなった。
広島県福山市にある真言宗大覚寺派の寺。山号は、中道山。寺号は、円光寺。寺伝によれば、開創は大同2年(807)。開山は空海。初め常福寺と称し、江戸初期に本庄村の明王院と合併して現名に改称。本堂と五重塔は国宝。

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精選版 日本国語大辞典 「明王院」の意味・読み・例文・類語

みょうおう‐いんミャウワウヰン【明王院】

  1. [ 一 ] 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗別格本山。弘仁七年(八一六)空海が高野山の開創に際して五大明王を鬼門に安置し、五大堂明王院と名づけて創建。本尊不動明王二童子像(赤不動)は日本三不動の一つ。
  2. [ 二 ] 広島県福山市草戸町にある真言宗大覚寺派の別格本山。山号は中道山。円光寺と称する。大同二年(八〇七)空海の開創と伝えられる。もと西光山常福寺と称した。江戸初期、藩主水野氏が再興。山門は一本の萩の木で作られ萩の曲門という。本堂、五重塔は国宝。萩寺。

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日本歴史地名大系 「明王院」の解説

明王院
みようおういん

[現在地名]鎌倉市十二所

なめり川左岸、泉水せんすい橋の北にある。飯盛山寛喜寺明王院五大堂と号する。真言宗御室派。本尊五大明王像。通称は五大堂。「鎌倉志」は俗称大行寺と伝える。嘉禎元年(一二三五)六月二九日藤原頼経の創建。初代の別当はもと鶴岡八幡宮別当定豪。当院の別当職は鶴岡八幡宮・永福ようふく寺・勝長寿しようちようじゆ院の別当職と並ぶ地位にあった。

創建当初のことは「吾妻鏡」にくわしい。寛喜三年(一二三一)一〇月六日、将軍頼経の御願寺として五大堂建立の沙汰があり、執権北条泰時・連署北条時房および三浦義村らおもな評定衆と陰陽師らが永福寺内に内定して巡検し、金蔵房が地相をはかり、宅間為行に土地の状況を描かせたりした。奉行は伊賀式部入道光西。一九日、建立用地を永福寺から甘縄あまなわに改め、寺の供養日と作事日とが重複した場合の吉凶を評議。二〇日、奉行光西らが甘縄の方角をただして造営の支障なしとした。二七日、二日前に北条時房の公文所から出火、源頼朝や北条義時の法華堂などを焼失したため、「墳墓堂等炎上之時、無再興例」によって五大堂新造を延期したが、一一月一八日、頼経は中原師員らを奉行として五大尊像を造り始めさせた。


明王院
みようおういん

[現在地名]福山市草戸町

芦田あしだ川右岸の愛宕あたご山麓にある。中道山円光寺と号し、真言宗大覚寺派、本尊十一面観音(弘仁仏、国指定重要文化財)。かつて本庄ほんじよう村にあり明王院円光寺と号していたが、水野氏の福山入封後、時の住持宥将(宥仙とも伝える)が勝成の外護を受け福山築城に際しては地鎮斎主をつとめ、元和五年(一六一九)城下奈良屋ならや(神島町とも伝える)へ移転、代々の祈願寺となっていたという。承応四年(一六五五)から明暦二年(一六五六)の間に水野勝貞草戸くさどにあった常福じようふく寺を廃号にし明王院を名乗らせ、常福寺舜意を隠居させて新明王院住持に宥将をすえ、備後における真言筆頭の寺院とした(福山志料ほか)

合併前の明王院の草創沿革はつまびらかでなく、わずかに文明三年(一四七一)六月一六日の西国寺不断経修行勧進并上銭帳(西国寺文書)に円光寺衆として明王院栄海・宥深・賢光の三僧の名と長和ながわ草土くさど(草戸)などの末寺が記されているだけである。

一方常福寺は明暦二年の「草戸記」や、元禄一二年(一六九九)の口上書覚(寺蔵)、享保一八年(一七三三)の中道山由縁不忘記(同上)、文化二年(一八〇五)の由緒書(同上)などは大同二年(八〇七)弘法大師の開基と伝える。これについては昭和三七年(一九六二)から同三九年の本堂解体の際、現本堂の基礎の下方に掘立造の遺構が検出され、また伝教大師作と伝える木造の十一面観音像(本尊)を蔵することから裏付けられるという。


明王院
みようおういん

[現在地名]尾島町安養寺 呑嶺

安養寺あんようじ集落のほぼ中央、字呑嶺どんれいにある。呑嶺山と号し、真言宗豊山派。本尊は絹本彩色の倶利加羅不動明王画像。古くは安養寺と称する寺の一院であったらしい。安養寺は、寺伝では康平四年(一〇六一)頼空を開山とし、源頼義が開基となって創建。その後、頼義の曾孫で新田氏の祖義重が同氏の氏寺としてもりたてたとされる。「安養寺殿新田大炊助源義重上西大禅定門」と刻んだ義重の位牌が伝えられている。暦応二年(一三三九)一一月一五日八木沼やぎぬま(現佐波郡境町)の一部が「安養寺殿追善料所」として足利尊氏から長楽ちようらく寺に寄進された(貞治四年七月五日「長楽寺寺領注文」長楽寺文書)。年月日未詳の長楽寺寺領目録案(同文書)には「以八木沼郷以下散在之地、為義貞追善料所将軍家御寄付御判」とあることから、安養寺殿は新田義貞をさすことがわかる。


明王院
みようおういん

[現在地名]鴨方町六条院中

いずみ山の北麓にある。天台宗、真岳山大護だいご寺と号する。本尊阿弥陀如来。文化元年(一八〇四)建立の仁王門から松並木の参道を登ると泉水と大伽藍がある。もとは生石山長泉教ちようせんきよう寺明王院といい、寛文(一六六一―七三)の頃真岳山と改めたという。縁起や「備中集成志」などによれば桓武天皇のとき最澄が草創、その後慈覚が承和年中(八三四―八四八)に灌頂道場を開創。安徳天皇が数ヵ月滞在したといい、山中に玉座の旧跡を伝える。のち細川通董から五〇石の寄進があったという。慶長七年(一六〇二)の小堀検地のとき、西江原にしえばら(現井原市)北山きたやまに一二石余、岡山藩主池田忠雄からは四石余が与えられたというが、寛永備中国絵図には「妙王院」とみえ、西江原村のうちに寺領一〇石があった。


明王院
みようおういん

[現在地名]寝屋川市成田西町

真言宗智山派。本尊大聖不動明王。千葉県成田なりた市の成田山新勝しんしよう寺大阪別院で、昭和九年(一九三四)の創建。明王院の名称は、新義真言宗本山大伝法院根来ねごろ寺の塔頭明王院を和歌山県那賀なが岩出いわで町より移建し、新勝寺別院としたことによる。交通安全祈願の参詣客が多く、毎月二八日の縁日、節分は賑う。境内の菅相庵茶室は、歌舞伎「菅原伝授手習鑑」寺子屋の段に登場する武部源蔵旧居を山城洛北芹生せりようの里より移したもので、「一銭職元祖之碑」は江戸時代髪結職の元祖北小路藤七郎の墓と伝え、大阪市城東区の蒲生がもう墓地にあったもの。


明王院
みようおういん

[現在地名]高野町高野山

だい塔の北、龍光りゆうこう院とその西の瑜祇ゆぎ塔跡地の間を北に入った小高い丘にある。別格本山。本尊は五大明王であったが、現在は円珍筆と伝える不動明王。この絹本著色不動明王二童子像(国指定重要文化財)は赤不動とよばれ、近江園城おんじよう(三井寺、現滋賀県大津市)の黄不動、京都青蓮しようれん(現京都市東山区)の青不動とともに三不動として著名。

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改訂新版 世界大百科事典 「明王院」の意味・わかりやすい解説

明王院 (みょうおういん)

滋賀県大津市にある天台回峰行(修験道)の修練道場。比叡山延暦寺東塔の無動寺谷に所属する。正式には北嶺山息障明王院と称し,葛川(かつらがわ)寺ともいう。天台僧相応が,859年(貞観1)比良山脈西斜面の滝で修行中不動明王を感得し,その像を彫刻して堂を建て安置したのが起原と伝える。以後天台の修験行者が7月の蓮華会と11月の霜月会の2度参籠する慣例となった。行者は参籠の際,牌伝(ひで)と呼ばれる卒塔婆に年号や法名を書いて収め,1204年(元久1)を最古として500本に上る参籠札がのこされている。また平安時代以来の3000点以上の古文書を蔵し,中世の部分は《葛川明王院史料》として出版され,中世山村生活の貴重な研究対象となっている。本堂には千手観音・不動明王・毘沙門天の特異な三尊をまつり,鎮守の地主神社は室町後期の蟇股(かえるまた)をそなえた建築である。現在7月18日夜行われる太鼓乗りは回峰行者の行事として有名である。
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明王院 (みょうおういん)

広島県福山市にある真言宗大覚寺派の寺。中道山円光寺と号し,俗称〈萩寺〉。本尊十一面観音像(弘仁期,重要文化財)。現地はもと常福寺の寺地だったが,1655年(承応4)ごろ,福山藩主水野氏が城下から円光寺を移転合併し,明王院と号した。以後,福山藩主祈願所になり,備後の真言宗筆頭寺院として栄えた。国宝の本堂と五重塔は旧常福寺のもので,本堂は1321年(元亨1),五重塔は1348年(正平3・貞和4)の建築。なお付近に有名な草戸(くさど)千軒町遺跡(草戸千軒)がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「明王院」の意味・わかりやすい解説

明王院
みょうおういん

広島県福山市草戸町にある真言(しんごん)宗大覚寺派の寺。萩(はぎ)寺の雅称がある。中道山圓光寺(ちゅうどうさんえんこうじ)と号する。本尊は十一面観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。備後(びんご)西国三十三所霊場第一番札所。807年(大同2)弘法大師(こうぼうだいし)(空海)の開基と伝える。初め西光(さいこう)山理智(りち)院常福(じょうふく)寺と称して真言律宗西大(さいだい)寺派末であった。1619年(元和5)水野勝成(かつなり)が入封し、本堂を修理再興した。1655年(明暦1)藩主水野勝貞(かつさだ)は、本庄(ほんじょう)村青木端(ばな)にあった明王院と合併して、明王院と号し、末寺48寺を付して祈願寺とした。本堂は1321年(元亨1)、五重塔は1348年(正平3・貞和4)の建築で、いずれも国宝。本尊の十一面観世音菩薩立像は最澄(さいちょう)作と伝える秘仏で、国重要文化財である。

[祖父江章子]


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百科事典マイペディア 「明王院」の意味・わかりやすい解説

明王院【みょうおういん】

滋賀県大津(おおつ)市にある天台回峰行(てんだいかいほうぎょう)(修験道(しゅげんどう))の修錬道場。比叡山延暦(えんりゃく)寺東(とう)塔の無動寺谷(むどうじだに)に所属。葛川(かつせん)寺とも。859年の創基。天台の修験行者が7月の蓮華会と11月の霜月会の2度参籠する慣例となり,1204年からの参籠札500余が残る。平安時代以来の古文書は《葛川明王院史料》として出版されている。7月18日夜に行われる太鼓乗りは回峰行者の行事として有名。
→関連項目葛川

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「明王院」の意味・わかりやすい解説

明王院
みょうおういん

広島県福山市にある真言宗の寺。大同年間 (806~810) の開基と伝えられ,元は常福寺と呼んだが,江戸時代初期に近くの明王院と合併。現本尊の『十一面観音像』は平安時代前期の作で,寺の創立と同時期と推定される。本堂は元応3 (1321) 年の建造で,外陣 (げじん) の天井に反転曲線を用いた折衷様の建築。五重塔は貞和4 (48) 年の純和様の塔で,心柱は二重で止めている。本堂,五重塔は国宝。

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デジタル大辞泉プラス 「明王院」の解説

明王院〔広島県〕

広島県福山市にある寺院。真言宗大覚寺派。山号は中道山、寺号は円光寺。807年、弘法大師(空海)の開創と伝わる。本尊の十一面観世音菩薩像は国の重要文化財、本堂・五重塔は国宝に指定。萩寺とも呼ばれる。

明王院〔神奈川県〕

神奈川県鎌倉市にある寺院。真言宗泉涌寺派。1235年、鎌倉幕府将軍・藤原頼経により建立。五大明王を祀り、飯盛山寛喜寺明王院五大堂と号する。通称「五大堂」。木造不動明王坐像は国の重要文化財に指定。

明王院〔滋賀県〕

滋賀県大津市にある天台宗の寺院、安曇(あど)山葛川息障(かつらがわそくしょう)明王院の通称。859年開創。葛川寺ともいう。本尊は千手観音、不動明王、毘沙門天。本堂などは国の重要文化財に指定。

明王院〔群馬県〕

群馬県太田市安養寺町にある真言宗豊山派の寺院。山号は呑嶺山、寺号は安養寺。鎌倉時代の総領家級の館跡に建てられた寺で、境内は「新田荘遺跡」として国の史跡に指定されている。

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事典・日本の観光資源 「明王院」の解説

明王院(第8番)

(広島県福山市)
中国三十三観音霊場」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の明王院の言及

【道後[温泉]】より

…地震によって何度も湧出がとだえたが,そのつど藩主以下が湯神社,伊佐爾波神社に湧出祈願をしている。温泉の管理には明王院があたり,来湯者は証文を明王院に提出してその指示に従って投宿し,客宿もその管掌下にあった。明治初期,明王院に代わって経営機関として原泉社が組織された。…

【草戸千軒】より

…出土する遺物も土製品,木製品,金属製品,石製品,動植物遺体などさまざまで,土師(はじ)質土器や青磁・白磁,杓子,漆器などの飲食具,包丁,すり鉢,土鍋,備前・常滑(とこなめ)焼壺・甕など調理・貯蔵用具をはじめ櫛や下駄などの服飾具,ふいごの羽口,土錘,犂先など生産用具,古銭・木簡など商業関係資料,塔婆,位牌,呪符など信仰・呪術資料などがあって中世における地方都市の隆盛の一端と庶民のいぶきをかいま見ることができる。 従来,草戸千軒は遺跡西側山麓に建立されていた常福寺(現,明王院。国宝)の門前町とも,当時奥深く湾入していた福山湾西岸の港町とも推定されてきた。…

※「明王院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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