鏡村(読み)かがみむら

日本歴史地名大系 「鏡村」の解説

鏡村
かがみむら

[現在地名]竜王町鏡

西横関にしよこぜき村の西、鏡山の北東麓に位置し、東辺を善光寺ぜんこうじ川が北流する。北は安養寺あんようじ(現近江八幡市)、西は野洲やす入町いりまち村・大篠原おおしのはら(現野洲町)。中山道が北東―南西に走り、集落は同道沿いのまちと南の垣内かきうちとに分れる。地名は古代鏡作部が居住したことにちなむという。鏡山北麓一帯には県下最大の須恵器窯跡群が分布し、「日本書紀」垂仁天皇三年三月条に「鏡村の谷の陶人」とある鏡村は当地に比定される。また古代東山道(中世には東海道)はほぼ近世の中山道と同様に当地を横断していたと考えられ、中世には街道沿いに鏡宿が成立した。

貞応元年(一二二二)六月日の慈鎮置文案(妙法院文書)に鏡庄とみえ、延暦寺三昧院領としての領有保全がはかられている。当地が延暦寺領庄園となった時期やその過程については定かでないが、この鏡庄を領有した鏡氏は佐々木定綱の子定重を祖とし、定重の子久綱の代に鏡氏を称したといわれる。


鏡村
かがみむら

[現在地名]鏡町鏡村

中鏡なかかがみ村ともいい、近世になり鏡村から上鏡かみかがみ村・鏡町・鏡村の三つに分れた。東は上鏡村、西は芝口しばくち村、南は鏡町・内田うちだ村、北は川を隔てて鹿島かしま(現竜北町)と接する。中世は八代庄道前どうぜん郷に属し、「一統志」の「野津」の項に「印鑰大明神・鏡池・鏡水」を載せる。鏡村の名称の起源は、この鏡池に由来すると思われる。鏡池は印鑰いんにやく神社の傍らにあり、「津守国夏家集」に「さつまかた鏡の池のひとつおしをのが影をやつまと見るらん」とあるのをはじめ、多くの歌に詠じられている。細川幽斎(藤孝)の家集「衆妙集」にも「かけも見し日かすをうつす旅衣身をやつしろの池のかかみに」とある。この池は「鮒取りの神事」でも知られる。印鑰神社は由来記によると、建久九年(一一九八)球磨地頭相良長頼が弟為頼に命じ、鏡池の辺りに社を建立させ、石川宿禰の分霊を勧請させたとある。しかし相良氏と祭神との関係は不明で、また相良氏の領内でもない当地に社を建立するということは信じがたい。印鑰は印と倉のかぎを意味するので、近くに古代の郡倉があり、のちに印鑰を祀ったとみるのが妥当であろう。


鏡村
かがみむら

[現在地名]唐津市鏡

唐津市東部、鏡山の北西山麓から松浦川右岸の沖積地に位置し、鏡神社を中心に形成された村。

村名は鏡神社に由来するとされる。「肥前風土記」に「かがみの わたり」が記され、建暦三年(一二一三)の青蓮院文書に鏡庄の名がある。村名は慶長絵図に「鏡村」とみえ、文化年中記録に畝数一〇〇町一段一畝一四歩とある。

村には藩政初期から郷足軽が配置された。郷足軽は初代藩主が治安のため旧領主波多氏・草野氏・鶴田氏らの旧臣を領内の要所に給田を与えて治安や公役を受け持たせたもので、身分は士分格で、藩主が転封しても土着し明治初期に至った。


鏡村
かがみむら

[現在地名]北野町金島かねしま

筑後川中流の旧金島放水路部分の両岸にまたがる平地で、南は大城おおき村。正慶二年(一三三三)二月二五日の鎮西御教書(隈文書/久留米市史7 資料編古代・中世)では、高良社(現久留米市)領の筑後国山本やまもと(現同上)内の畠地に対する押妨を訴えられている「鏡馬入道」がおり、当地の住人の可能性があるという。天文年間(一五三二―五五)頃、草野鑑直の領知二〇〇余町が秋月氏に去り渡されることになったが、「鑑之五ケ所屋敷」などは鑑直の知行とされた(二月二三日「大友氏加判衆連署奉書」草野文書/久留米市史7 資料編古代・中世)。天正七年(一五七九)「山下郡之内かゝみ」の一二町など高良山(現久留米市)の六ヵ所が闕所地とされ、麦生鎮綱に与えられ(同年七月一三日「麦生鎮綱知行坪付」大友家文書録/大分県史料三三)、また先に小田氏に給与されていた「三原郡かゝみ」の二町は町野与兵衛領とされている(同月二七日「大友義統袖判知行坪付」問注所文書/小郡市史 第5巻(資料編))


鏡村
かがみむら

面積:六〇・四六平方キロ

高知県の中央部にある山村で、東は土佐山とさやま村、南は高知市、西は吾川あがわ伊野いの町、北は同郡吾北ごほく村。吉原よしはら川・的淵まとぶち川が東南流し、村の南部で合流して鏡川となって浦戸うらど湾に注ぐ。村の約八割が山林で、川流域の小平野に集落が点在。昭和四一年(一九六六)に鏡川の支流あな川に多目的ダムの鏡ダムが建設された。村の北部と南部の一部はそれぞれ工石山陣くいしやまじんもり県立自然公園、北山きたやま県立自然公園に含まれる。


鏡村
かがみむら

[現在地名]小山市鏡

南流する巴波うずま川左岸にあり、対岸押切おしきり村。寒川さむかわ郡に属する。年月日未詳の下野国寒川郷等譲状(金沢文庫古文書)に「かゝみのかう」とある。永正七年(一五一〇)六月二〇日の下野国先達注文(米良文書)に「かゝミの新光房門弟」とある。年未詳八月三日の足利晴氏書状(小山文書)によれば、晴氏は「鏡之郷」など三郷を小山高朝に宛行うと約束している。喜連川家料所記(喜連川文書)には、小山氏に押領された郷の一つとして鏡郷がみえ、永禄三年(一五六〇)まで古河公方料所であった。


鏡村
かがみむら

[現在地名]大野町後田うしろだ 広戸ひろと

代三五だいさんご村の北、王子おうじ(三五三メートル)の西麓台地上にあり、広戸川が北東へ流れる。正保郷帳に村名がみえ、田高五三石余・畑高二六石余、井田いだ郷に属し、茅山有と注記される。旧高旧領取調帳では高一一三石余。安永七年(一七七八)には片島組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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