坂本天山(読み)サカモトテンザン

  • 1745―1803
  • 坂本天山 (さかもとてんざん)
  • 坂本天山 さかもと-てんざん

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

1745-1803 江戸時代中期-後期の砲術家。
延享2年5月22日生まれ。信濃(しなの)(長野県)高遠藩士。父運四郎に荻野流砲術をまなぶ。安永7年左右の旋回と仰角をとることが可能な周発台(大砲の砲架)を発明。その砲術は荻野流増補新術,のち天山流と称された。享和3年2月29日死去。59歳。名は俊豈。字(あざな)は伯寿。通称は孫八。著作に「砲銃大小一致弁」「周発図説」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

没年:享和3.2.29(1803.4.20)
生年:延享2.5.22(1745.6.21)
江戸中期の砲術家。天山流砲術の創始者。信州高遠藩士。は俊豈。孫八と称し,天山と号した。幼年より父運四郎英臣について荻野流砲術を学び,傍ら大内熊耳に師事して復古学を修めた。安永7(1778)年には画期的な発明といわれる周発台(左右の旋回と仰角をとることができる重砲用の台)を考案し,これを中心にした兵制や戦術にまで研究がおよんだ。しかし,宗家を重んずる謙譲の人柄からあえて天山流を唱えずに「荻野流増補新術」と称したが,のちには宗家荻野昭良も天山から増補新術を伝授されている。その優秀さについては,薩英戦争(1863)や下関砲撃事件(同)においてヨーロッパ艦隊と互角に戦い得た唯一の和流砲術であったことからも窺える。

(所荘吉)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

近世中期の砲術家。荻野(おぎの)流増補新術(ぞうほしんじゅつ)(天山流)の創始者。通称孫八、名は俊豈(としやす)、天山と号した。信州高遠(たかとお)藩士の家に生まれ、少年のころから父運四郎英臣(ひでおみ)について荻野流砲術を学び、1767年(明和4)23歳のとき、大坂玉造(たまつくり)の荻野流宗家に赴いて皆伝免許を受けたが、これに満足せず、帰藩後も独自の研究を続け、78年(安永7)旋回俯仰(ふぎょう)が自在にできる大砲の砲架を発明し、「周発(しゅうはつ)台」と名づけた。87年(天明7)一時閉門を命ぜられたが、以後著作と門弟の教授に専念した。1801年(享和1)3子鉉之助(げんのすけ)を伴って長崎に遊び、大村、平戸(ひらど)の諸藩に招かれ砲術を指導したが、享和(きょうわ)3年2月、病を得て平戸藩屋敷に没した。

[渡邉一郎]

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367日誕生日大事典の解説

生年月日:1745年5月22日
江戸時代中期;後期の砲術家;信濃高遠藩士
1803年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

精選版 日本国語大辞典の解説

江戸後期の砲術家。信州高遠の人。名は俊豈。字は伯寿。通称孫八。大坂に出て外国の砲術を学ぶ。門人は百数十人といわれ、積弊を打破しようとしたが讒言(ざんげん)で幽囚三年。のち、平戸藩主に迎えられて砲術の教授となる。日本の砲術の先覚者。延享二~享和三年(一七四五‐一八〇三

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