坂東しうか(読み)ばんどうしゅうか

改訂新版 世界大百科事典 「坂東しうか」の意味・わかりやすい解説

坂東しうか (ばんどうしゅうか)

歌舞伎俳優。4世まであるが,初世が最も有名。(1)初世(1813-55・文化10-安政2) 屋号大和屋市村座の帳元の三男。前名坂東玉之助,初世坂東玉三郎。養父3世坂東三津五郎俳名にちなみ,1839年(天保10)しうかと改名,42年上上吉に位付けされ,弘化~安政(1844-60)にかけて8世市川団十郎と人気を競った。芸風がはなやかで風姿にすぐれた女方。悪婆(あくば)役を得意とし,当り役に《明烏》の浦里,《隅田川》の女清玄,《忠臣蔵》のお軽,鬼神のお松,女鳴神などがある。没後,5世坂東三津五郎を追贈された。(2)2世(?-1891(明治24)) 屋号播磨屋のち大和屋。前名中村種太郎,2世中村もしほ,2世中村歌六。初世中村歌六の次男。6世三津五郎の養子となり1874年しうかを襲名,女方として勤めたが,のち離縁となって帰阪することになった。(3)3世 14世守田勘弥の前名。
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朝日日本歴史人物事典 「坂東しうか」の解説

坂東しうか(初代)

没年:安政2.3.6(1855.4.22)
生年:文化10(1813)
江戸後期の歌舞伎役者女形。屋号大和屋。市村座の帳元橘屋治助の次男。幼名玉之助。文政7(1824)年,初代坂東玉三郎を名乗って市村座へ出,子役として唐子の所作を勤めたのが初舞台。文政12年から3年間名古屋と上方で修業したのち,江戸に下って次第に名声を得た。天保10(1839)年,養父3代目坂東三津五郎の俳名秀佳に因んで改名。8代目市川団十郎と競演して江戸の人気を集めたが,43歳の若さで没した。風采がよく口跡にすぐれ,派手で伝法肌の女役を得意とし,晩年には「眼千両」といわれた女形の名優5代目岩井半四郎の芸風をよく受け継いでいた。当たり役に女清玄,浦里,鬼神お松など。性格は豪放で金遣いが荒かったというが,人望はあり,弟子はもちろん,木戸芸者や落語家,幇間など朝夕台所で飯を食うものが常に二,三十人はいたという。没後,5代目坂東三津五郎を追贈されている。この名跡は4代を数えたが,初代が最も有名である。<参考文献>伊原敏郎『近世日本演劇史』,俳優堂夢遊『俳優世々の接木』(国立劇場芸能調査室編『歌舞伎の文献』8巻)

(赤間亮)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坂東しうか」の解説

坂東しうか(初代) ばんどう-しゅうか

1813-1855 江戸時代後期の歌舞伎役者。
文化10年生まれ。3代坂東三津五郎の養子。12歳のとき坂東玉三郎を名のって初舞台。天保(てんぽう)10年坂東しうかに改名。容姿と口跡がよく,女方,所作事(しょさごと)を得意とする。没後,5代坂東三津五郎を追贈された。安政2年3月6日死去。43歳。江戸出身。幼名は坂東玉之助。俳名は玉花,秀歌。屋号は大和屋。

坂東しうか(2代) ばんどう-しゅうか

中村歌六(なかむら-かろく)(2代)

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世界大百科事典(旧版)内の坂東しうかの言及

【守田勘弥(森田勘弥)】より

…13世の甥で,養子となる。4世坂東玉三郎,3世坂東しうかを経て,1935年7月勘弥をついだ。すっきりとした容姿にすぐれ,和事系の二枚目を本領としたが,老女方から荒事まで,幅広い役柄を演じた。…

※「坂東しうか」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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