坂東玉三郎
ばんどうたまさぶろう
歌舞伎(かぶき)俳優。屋号は代々大和(やまと)屋。
[服部幸雄]
(1813―55)初世坂東しうか(5世三津五郎(みつごろう)を死後追贈)の幼名。
[服部幸雄]
(1830―72)初世の養子。4世坂東簑助(みのすけ)の前名で、女方(おんながた)の時代に玉三郎と名のっていた。のち敵役(かたきやく)に転じた。
[服部幸雄]
(1883―1905)12世守田勘弥(かんや)の五女。本名守田きみ。1889年(明治22)3世を継ぐ。歌舞伎女優市川九女八(くめはち)の一座に加入して評判をとる。1904年(明治37)渡米、ニューヨークにとどまり日本舞踊を教えていた。
[服部幸雄]
(1950― )14世守田勘弥の養子。1957年(昭和32)坂東喜の字(きのじ)と名のって初舞台。64年5世を継ぐ。美貌(びぼう)で新しい感覚の女方として抜群の人気をもち、泉鏡花の作品や翻訳劇にも出演し、映画監督をするなど幅広い創造的活躍をしている。2019年(令和1)、文化功労者。
[服部幸雄]
『篠山紀信写真『坂東玉三郎の世界』(1988・朝日新聞社)』▽『『坂東玉三郎の世界』(『ダンスマガジン』臨時増刊号・1995・新書館)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
坂東玉三郎(5世)
ばんどうたまさぶろう[ごせい]
[生]1950.4.25. 東京
歌舞伎俳優。屋号大和屋。本名守田伸一。1957年坂東喜の字を名のり,初舞台を踏む。1964年 14世守田勘弥の養子となり,5世坂東玉三郎を襲名。その美貌と優れた感性が早くから注目され,最も人気のある女方の一人となり,歌舞伎界を代表する立女方(たておやま)となった。『桜姫東文章』の桜姫,『壇浦兜軍記』の阿古屋,『籠釣瓶花街酔醒』の八ツ橋,『伽羅先代萩』の政岡,舞踊『鷺娘』など,多くの作品で高い評価を得る。歌舞伎以外の舞台でも活躍し,新派の『天守物語』,新劇の『マクベス』,アンジェイ・ワイダ演出の『ナスターシャ』,中国古典劇の昆劇『牡丹亭』(日中合同公演)などに出演。1991年には泉鏡花原作の映画『外科室』で映画監督としてデビューした。2012年太鼓芸能集団鼓童の芸術監督に就任。1970年芸術選奨文部大臣新人賞,1992年泉鏡花文学賞特別賞,1998年毎日芸術賞,2009年菊池寛賞,2011年京都賞を受賞。1991年フランス芸術文化勲章シュバリエ,2013年同賞コマンドール,2014年紫綬褒章を受章。2012年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。
坂東玉三郎(3世)
ばんどうたまさぶろう[さんせい]
[生]1883
[没]1905
歌舞伎俳優。屋号大和屋。 12世守田勘弥の5女きみが,1889年に襲名。女性ながら若手歌舞伎の一座に加わる。 1904年アメリカ,セントルイス万国博覧会の際に渡米,翌年客死した。
坂東玉三郎(4世)
ばんどうたまさぶろう[よんせい]
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坂東 玉三郎(3代目)
バンドウ タマサブロウ
- 職業
- 歌舞伎俳優
- 本名
- 守田 きみ
- 別名
- 前名=坂東 喜美江
- 生年月日
- 明治16年
- 出生地
- 東京
- 経歴
- 幼少時より舞踊・長唄・常磐津を好み、琴や茶華道を習う。のち女歌舞伎俳優として坂東喜美江を名乗り、明治21年新富座「名大島功誉強弓」の島君役で初舞台。36年大阪公演、37年米国万国博覧会の演芸館公演が好評を博すが急逝した。
- 没年月日
- 明治38年 1月15日 (1905年)
- 家族
- 父=守田 勘弥(5代目),兄=坂東 三津五郎(7代目),弟=守田 勘弥(13代目)
- 伝記
- 下村満子の気になる男たち 下村 満子 編(発行元 朝日新聞社 ’87発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
坂東玉三郎(5代目)
歌舞伎の立女形、俳優、映画監督、演出家。1950年4月25日生まれ、東京都出身。幼い頃に患った小児麻痺の後遺症のリハビリのため舞踊を習ったのをきっかけに歌舞伎界に入る。57年に初舞台を踏み、64年に14代目守田勘弥(4代目坂東玉三郎)の養子となって5代目坂東玉三郎を襲名。以来、「桜姫東文章」の桜姫、「京鹿子娘道成寺」の白拍子花子など古典の大役を数多く演じ、歌舞伎界を背負う女形の地位を確立した。84年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場に招かれて「鷺娘」を演じたことから広く名を知られるようになり、ヨー・ヨー・マやモーリス・ベジャールなど著名な音楽家やバレエ振付師、映画監督などとのコラボレーションを展開、国際的にも高い評価を得た。そのほかにも、映画や舞台の演出を手がけるなど多彩なジャンルで活躍している。2012年、歌舞伎の女形では歴代5人目となる人間国宝に認定。14年に紫綬褒章を受章、19年に文化功労者に選定された。
出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報
坂東 玉三郎(3代目)
バンドウ タマサブロウ
明治期の歌舞伎俳優
- 生年
- 明治16(1883)年
- 没年
- 明治38(1905)年1月15日
- 出生地
- 東京
- 本名
- 守田 きみ
- 別名
- 前名=坂東 喜美江
- 経歴
- 幼少時より舞踊・長唄・常磐津を好み、琴や茶華道を習う。のち女歌舞伎役者として坂東喜美江を名乗り、明治21年新富座「名大島功誉強弓」の島君役で初舞台。36年大阪公演、37年米国万国博覧会の演芸館公演が好評を博すが急逝した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
坂東玉三郎(5代) ばんどう-たまさぶろう
1950- 昭和後期-平成時代の歌舞伎役者。
昭和25年4月25日生まれ。14代守田勘弥の養子。昭和32年初舞台。39年5代坂東玉三郎を襲名。美貌の若女方として人気をあつめる一方,歌舞伎と並行して新派の舞台,「マクベス」「オセロ」などにも女方として出演。演出,映画の監督も手がける。平成10年毎日芸術賞,読売演劇大賞最優秀男優賞。21年菊池寛賞。23年京都賞。24年人間国宝。25年フランス芸術文化勲章コマンドールを受章。東京都出身。聖学院中学部卒。本名は守田親市。初名は坂東喜の字。屋号は大和屋(やまとや)。
坂東玉三郎(3代) ばんどう-たまさぶろう
1883-1905 明治時代の歌舞伎女役者。
明治16年1月16日生まれ。12代守田勘弥の5女。6歳で初舞台。明治22年3代玉三郎をつぐ。歌舞伎女役者市川九女八(くめはち)の一座にくわわり評判をとる。37年渡米,ニューヨークで劇場を見学し,舞踊師について修業中の明治38年2月15日心臓病で死去。23歳。東京出身。本名は守田きみ。
坂東玉三郎(2代) ばんどう-たまさぶろう
1830-1872 江戸後期-明治時代の歌舞伎役者。
天保(てんぽう)元年生まれ。初代坂東しうかの養子。天保15年2代玉三郎をついで若衆方から若女方となる。明治元年立役に転じ,2年4代坂東簑助(みのすけ)を襲名。明治5年7月30日死去。43歳。江戸出身。前名は坂東玉市。俳名は玉花,秀朝。屋号は大和屋。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
坂東 玉三郎(5代目) (ばんどう たまさぶろう)
生年月日:1950年4月25日
昭和時代;平成時代の歌舞伎俳優(女方);舞台演出家;映画監督
坂東 玉三郎(3代目) (ばんどう たまさぶろう)
生年月日:1883年1月16日
明治時代の歌舞伎役者
1905年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の坂東玉三郎の言及
【坂東しうか】より
…市村座の帳元の三男。前名坂東玉之助,初世坂東玉三郎。養父3世[坂東三津五郎]の俳名にちなみ,1839年(天保10)しうかと改名,42年上上吉に位付けされ,弘化~安政(1844‐60)にかけて8世市川団十郎と人気を競った。…
【守田勘弥(森田勘弥)】より
…古風な容姿で,《義経千本桜》の弥助,《廓文章》の伊左衛門などの和事の二枚目を得意としたが,戯曲に対する理解力がするどく,研究意欲をもち,大正年間の研究劇団文芸座を中心として演劇界に大きな功績を残した。(14)14世(1907‐75∥明治40‐昭和50) 歌舞伎女優3世坂東玉三郎の子。13世の甥で,養子となる。…
※「坂東玉三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」