坂東三津五郎(読み)バンドウミツゴロウ

デジタル大辞泉 「坂東三津五郎」の意味・読み・例文・類語

ばんどう‐みつごろう〔‐みつゴラウ〕【坂東三津五郎】

歌舞伎俳優。屋号、大和屋
(初世)[1745~1782]大坂の人。前名、竹田巳之助みのすけ。坂東三八の養子となり、改名。江戸へ出て、和実の上手として名声を得た。
(3世)[1775~1832]江戸の人。初世の実子。通称、永木えいきの親方。和事実事・舞踊にすぐれ、3世中村歌右衛門と人気を争うとともに、坂東流の基礎を築いた。
(7世)[1882~1961]東京の生まれ。12世守田勘弥の長男。舞踊の名人。

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精選版 日本国語大辞典 「坂東三津五郎」の意味・読み・例文・類語

ばんどう‐みつごろう【坂東三津五郎】

  1. 歌舞伎俳優。屋号、大和屋。
  2. [ 一 ] 三世。初世の子。寛政一一年(一七九九)三世三津五郎を襲名。和事・実事のほか、所作事にすぐれ、三世中村歌右衛門と江戸の人気を競った。化政期の名優。安永四~天保二年(一七七五‐一八三一
  3. [ 二 ] 七世。本名守田寿作。二世守田勘彌の子。明治三九年(一九〇六)七世三津五郎を襲名。舞踊は近代の名手といわれた。明治一五~昭和三六年(一八八二‐一九六一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「坂東三津五郎」の意味・わかりやすい解説

坂東三津五郎
ばんどうみつごろう

歌舞伎(かぶき)俳優。屋号は代々大和屋(やまとや)。


初世(1745―1782)初め竹田巳之助(みのすけ)といい上方(かみがた)の俳優であったが、初世坂東三八が養子にして三津五郎と名のらせた。江戸に下って名をあげた。和実(わじつ)の名手。


2世(1750―1829)1785年(天明5)初世尾上紋三郎が2世を継ぎ、大立者になった。後名2世荻野伊三郎。


3世(1775―1831)初世の子。1799年(寛政11)坂東簑助(みのすけ)から3世を継ぎ、上方の名優3世中村歌右衛門(うたえもん)と人気を争い、文化・文政期(1804~1830)の代表的名優となった。風姿がりっぱで、地芸と所作、時代と世話、どんな役にも優れた技量を示した。とくに和実を得意とした。江戸随一の所作事の名人ともてはやされ、『浅妻船(あさづまぶね)』『願人坊主(がんにんぼうず)』『傀儡師(かいらいし)』『山帰り』『源太(げんだ)』など数々の変化(へんげ)舞踊を演じ、人気があった。江戸深川の永木河岸(えいきがし)に別宅があったので「永木の親方」と親しまれた。


4世(1800―1863)3世の養子。1832年(天保3)2世坂東簑助から4世を継ぐ。3世の芸風を受け継ぎ、和実をよくし、生世話(きぜわ)に優れていた。所作事の名手として、4世中村歌右衛門と対抗して人気を二分した。晩年に中風を病んだので「ヨイ三津」とあだ名された。1850年(嘉永3)11世森田勘弥を襲名。


5世(1813―1855)3世の養子。4世の義弟。風姿と口跡に優れた女方(おんながた)で、坂東しうかと名のって活躍、伝法肌のいわゆる悪婆(あくば)の役を得意とし、とくに8世市川団十郎とのコンビで演じた幕末期の退廃的な美の創造が認められている。死後、5世三津五郎を追贈。


6世(1841―1873)幕末から明治初期にかけて活躍した女方。5世の子。1856年(安政3)6世を継ぐ。顔にあばたがあったので「あば三津」とあだ名でよばれ、人気があった。


7世(1882―1961)12世守田勘弥(もりたかんや)の長男。本名守田寿作。前名2世坂東八十助(やそすけ)。1906年(明治39)7世を継ぐ。青年時代に市村座の座頭(ざがしら)になった。6世尾上菊五郎(おのえきくごろう)、初世中村吉右衛門(きちえもん)らとともに、大正・昭和の歌舞伎を支えた。舞踊の名人でもあり、かつ伝統的技芸の正確な継承者としても重んじられた。1949年(昭和24)芸術院会員、1955年歌舞伎舞踊の重要無形文化財保持者に認定され、1960年文化功労者。


8世(1906―1975)7世の養子。本名守田俊郎。初名3世八十助。1962年(昭和37)6世坂東簑助から8世を継ぐ。実悪(じつあく)、老(ふけ)役を得意とし、舞踊に優れていた。一時期関西歌舞伎に属し、いわゆる武智(たけち)歌舞伎の協力者となって若手俳優を指導した。研究熱心な俳優で、『戯場戯語』ほかの著書も多い。1973年、重要無形文化財保持者に認定されたが、フグ中毒で急逝。


9世(1929―1999)3世坂東秀調(しゅうちょう)の三男。1955年(昭和30)8世三津五郎の長女と結婚し養子となる。前名4世八十助、7世簑助。父の死により坂東流家元の三津五郎を襲名し、1987年9月、歌舞伎俳優としての9世を継ぐ。


10世(1956―2015)9世の長男。1962年(昭和37)に初舞台。前名5世八十助。歌舞伎以外でも、舞台や映画で活躍。2001年(平成13)1月、10世を継ぐ。2005年度日本芸術院賞受賞。

服部幸雄

『利倉幸一編著『七世三津五郎 舞踊芸話』(1977・演劇出版社)』『8世坂東三津五郎著『戯場戯語』(1968・中央公論社)』『8世坂東三津五郎著『歌舞伎 花と実』(1976・玉川大学出版部)』『8世坂東三津五郎・安藤鶴夫著『芸のこころ』(1982・ぺりかん社)』


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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「坂東三津五郎」の解説

坂東 三津五郎(8代目)
バンドウ ミツゴロウ


職業
歌舞伎俳優

肩書
重要無形文化財保持者(歌舞伎立役)〔昭和48年〕

本名
守田 俊郎(モリタ トシロウ)

別名
初名=坂東 八十助(3代目)(バンドウ ヤソスケ),前名=坂東 簑助(6代目)(バンドウ ミノスケ),俳名=坂東 みの介(バントウ ミノスケ),是真,喜好

屋号
大和屋

生年月日
明治39年 10月19日

出生地
東京市 下谷区二長町(東京都 台東区)

経歴
大正2年3代目坂東八十助の名で初舞台、昭和3年6代目坂東簑助となる。若くして小山内薫に傾倒し、7年新劇場を結成、ヘイワードの「ポーギー」を上演、歌舞伎界の反逆児といわれる。翌年「源氏物語」の劇化を企画したが、上演禁止。9年松竹を脱退して東宝に入り、10年第一次東宝劇団を結成、有楽座を本拠に公演したが、14年に解散。15年関西に移り、関西歌舞伎で活躍。映画にも出演。戦後は武智歌舞伎に参加。36年東京松竹に復帰し、37年8代目三津五郎を襲名。均整のとれたキメ細かな芸風で、舞踊にも定評があった。晩年は老け、実悪、辛抱立役に優れた舞台を見せた。48年人間国宝に認定される。当たり役に、「源平布引滝」の瀬尾十郎、「双蝶々曲輪日記」の長五郎、「弁天娘女男白浪」の日本駄右衛門、「勧進帳」の弁慶、「助六由縁江戸桜」の意休、「新薄雪物語」の幸崎伊賀守、「桐一葉」の片桐且元など。茶道、古美術に造詣深く、歌舞伎界の故事、先達の芸風にも通じ、“歌舞伎の生字引”といわれた。文筆家としても知られ、著書に「戯場戯語」「言わでもの事」「芸十夜」などがある。また、俳句をよくし、簑助時代に虚子に師事して「ホトトギス」に投句。食通で料理を得意としたが河豚の肝にあたって急逝した。

受賞
日本芸術院賞(第22回 昭40年度)〔昭和41年〕 紺綬褒章〔昭和39年〕,紫綬褒章〔昭和45年〕 日本エッセイスト・クラブ賞(第17回)〔昭和44年〕「戯場戯語」

没年月日
昭和50年 1月16日 (1975年)

家族
養父=坂東 三津五郎(7代目),孫=坂東 三津五郎(10代目)

親族
女婿=坂東 三津五郎(9代目),甥=岸沢 式佐(11代目・常磐津三味線方)

伝記
対談集 源泉の感情舞踊と身体 三島 由紀夫 著芦原 英了 著(発行元 河出書房新社新宿書房 ’06’86発行)


坂東 三津五郎(7代目)
バンドウ ミツゴロウ


職業
歌舞伎俳優 日本舞踊

肩書
坂東流家元 日本芸術院会員〔昭和23年〕,重要無形文化財保持者(歌舞伎舞踊)〔昭和30年〕

本名
守田 寿作(モリタ ジュサク)

別名
前名=坂東 八十助(2代目)(バンドウ ヤソスケ),俳名=是好

屋号
大和屋

生年月日
明治15年 9月21日

出生地
東京都 新富町(東京都 中央区)

経歴
新富座座主・12代目守田勘弥の長男。明治22年2代目坂東八十助の名で初舞台。舞踊を2代目藤間勘右衛門、花柳勝次郎に師事。25年頃から4代目中村芝翫、9代目市川団十郎の薫陶を受け、39年7代目坂東三津五郎を襲名、舞踊坂東流家元となる。中村座座頭となり、6代目尾上菊五郎、初代中村吉右衛門らと活躍。舞踊は軽妙、高雅であり、6代目菊五郎とコンビの「棒しばり」「三社祭」など多くの名舞台を残した。大正10年市村座を脱退したが、その後も菊吉と歌舞伎の舞台で共演。昭和23年日本芸術院会員、30年第一次人間国宝に認定。32年「寒山拾得」の舞台で倒れ、以後引退。35年文化功労者。坂東流家元として、武原はん、吾妻徳穂など多くの人材を育てた。著書に「三津五郎舞踊芸話」「三津五郎芸談」など。

受賞
文化功労者〔昭和35年〕

没年月日
昭和36年 11月4日 (1961年)

家族
父=守田 勘弥(12代目),長男=坂東 三津五郎(8代目)

伝記
日本の舞踊知らざぁ言って聞かせやしょう―歌舞伎界でんがく返し忘れじの美女 渡辺 保 著中村 又蔵 著戸板 康二 著(発行元 岩波書店日本テレビ放送網三月書房 ’91’88’88発行)


坂東 三津五郎(9代目)
バンドウ ミツゴロウ


職業
歌舞伎俳優 日本舞踊家

肩書
坂東流9代目家元

本名
守田 光伸

別名
前名=坂東 八十助(4代目),坂東 簑助(7代目)(バンドウ ミノスケ)

屋号
大和屋

生年月日
昭和4年 5月14日

出生地
東京都

学歴
青山小高等科〔昭和19年〕卒

経歴
昭和7年坂東光伸で初舞台。30年8代目三津五郎の女婿となる。同年5月4代目八十助、37年9月7代目簑助を襲名。50年8代目三津五郎の死後、舞踊名として坂東流家元坂東三津五郎となる。55年より登舞の会主宰。62年9月9代目三津五郎を襲名。舞踊に優れ、「喜撰」などを得意とした。芝居では「源氏店」の蝙蝠安や「権三と助七」の家主など脇役で活躍。

受賞
日本芸術院賞(第47回)〔平成3年〕 紫綬褒章〔平成5年〕

没年月日
平成11年 4月1日 (1999年)

家族
父=坂東 秀調(3代目),兄=市川 高麗蔵(10代目),息子=坂東 三津五郎(10代目),孫=坂東 巳之助(2代目)

親族
義父=坂東 三津五郎(8代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「坂東三津五郎」の意味・わかりやすい解説

坂東三津五郎 (ばんどうみつごろう)

歌舞伎役者。屋号は代々大和屋。(1)初世(1745-82・延享2-天明2) 前名竹田巳之助。俳名是業。浜芝居の立者であったが,上坂した初世坂東三八に見込まれ,弟子養子となって,1766年(明和3)冬,ともに江戸に下り,坂東三津五郎と改名。容姿よく,立役,女方,所作事を兼ね,とくに和実の上手として人気を得たが,短命で,森田座に出演中,楽屋で急逝した。(2)2世(1750-1829・寛延3-文政12) 初名尾上藤蔵。前名尾上門三郎,尾上紋三郎。後名2世荻野伊三郎。俳名里遊,是業,初朝。法名群好。1785年(天明5)11月襲名。初世の芸風を伝え,和実,捌き役などをよくした。(3)3世(1775-1831・安永4-天保2) 初名初世坂東三田八。前名坂東巳之助,森田勘次郎,初世坂東簑助。俳名秀歌,秀佳。別号高清亭。通称永木(えいき)の親方(親玉),永木の三津五郎。初世の子。1799年(寛政11)11月襲名。江戸役者の親玉とたたえられ,上方の名優3世中村歌右衛門と拮抗,敵役を除くあらゆる役柄に通じ,なかでも和実と所作事を得意として,《布引滝》の実盛などに新しい人間像を生み,〈永木の型〉として後世に伝えられるとともに,舞踊坂東流の基礎を築いた。(4)4世(1802-63・享和2-文久3) 前名2世坂東簑助。俳名佳朝,秀朝,是好。3世の養子。1832年(天保3)3月襲名。和実と所作事に長じ,実悪をも兼ねた。中風にかかり,ヨイ三津と仇名された。50年(嘉永3)11世森田勘弥(守田勘弥)となり,座元を兼ねた。(5)5世 初世坂東しうかが,死後,5世を追贈された。(6)6世(1846-73・弘化3-明治6) 前名初世坂東吉弥。俳名秀歌,秀山。通称吉弥三津五郎。5世の子。1856年(安政3)5月襲名。顔にあばたがあり,アバ三津と仇名された。(7)7世(1882-1961・明治15-昭和36) 本名守田寿作。前名2世坂東八十助。俳名是好。12世守田勘弥の子。1906年4月襲名。大正・昭和を通じて,古典的な芸の正統を伝え,また,舞踊の名手として名高い。芸談を記録したものに《舞踊芸話》《三津五郎芸談》があり,ほかに《坂東三津五郎舞台写真集》がある。49年芸術院会員,60年文化功労者。(8)8世(1906-75・明治39-昭和50) 本名守田俊郎。初名3世坂東八十助。前名6世坂東簑助。俳名喜好,是真。別号虚仮是真。1962年9月襲名。7世の養子。実悪,老け役に長じた。《戯場戯語》《歌舞伎 虚と実》など十数冊の著書もある。
執筆者:

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知恵蔵 「坂東三津五郎」の解説

坂東三津五郎(10代目)

日本の歌舞伎俳優。1956年1月23日、東京都生まれ。本名は守田寿(もりたひさし)。屋号は大和屋。日本舞踊の坂東流家元で、踊りの名手として知られ、端正な芸で幅広い役を演じた。
長男は歌舞伎俳優の2代目坂東巳之助。長女は女優の守田菜生、次女は日本舞踊師範の守田幸奈。いとこに女優の池上季実子。
先代三津五郎の長男に生まれ、62年、5代目八十助(やそすけ)を襲名して、「牛若丸」の役で初舞台を踏んだ。八十助として長らく活動し、2001年に三津五郎を襲名した。研究熱心で努力家だったといい、こつこつと積み上げられた芸は、多くの人々を魅了した。「六歌仙」にも選ばれている歌人で高僧、喜撰(きせん)法師が様々な姿を見せる「喜撰」を好んで演じ、基本に忠実ながらも味わい深い芸を見せた。芸域は幅広く、「魚屋宗五郎」の宗五郎といった世話物の役を始め、時代物の武家社会に生きる男性の役、「勧進帳」の弁慶といった荒事などもこなした。新作歌舞伎から現代劇まで、多様なジャンルの舞台や役柄に挑戦し続けたことについては、生前「好きな役者をやれてるんだもの、やること、できることを自分で制限したらもったいないじゃない」と語っていたという。同世代の故中村勘三郎(18代目、12年に死去)とは、幼い頃から共に芸を切磋琢磨する間柄で、多くの舞台で共演した。
NHK大河ドラマ「功名が辻」やTBS系「ルーズヴェルト・ゲーム」などのテレビドラマや映画「武士の一分」にも出演した。
06年日本芸術院賞、09年紫綬褒章など受賞歴は多数。著書に『あばれ熨斗(のし)』などがある。
城好きとしても有名で、BS朝日「日本の城ミステリー紀行」の城案内人も務めた。10年に『三津五郎城めぐり』(三月書房)、12年には『坂東三津五郎 粋な城めぐり』(角川マガジンズ)が出版されている。
13年8月にすい臓の異常を公表し、9月に手術を受けた。療養生活を経て14年4月、東京・歌舞伎座の「寿靱猿(ことぶきうつぼざる)」で舞台復帰した。8月に「たぬき」「勢獅子(きおいじし)」に出演し、結果的にこれが歌舞伎では最後の舞台となる。9月に肺の異常が見つかり、12月に出演予定だったこまつ座の舞台「芭蕉通夜舟」の降板を発表。10月の小唄演奏会が、舞踊では最後の舞台となった。
15年2月21日、すい臓がんのため59歳で死去。東京で営まれた本葬には、歌舞伎関係者や山田洋次監督、鳩山由紀夫元首相ら計約5000人が参列した。

(南 文枝 ライター/2015年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

20世紀日本人名事典 「坂東三津五郎」の解説

坂東 三津五郎(8代目)
バンドウ ミツゴロウ

大正・昭和期の歌舞伎俳優



生年
明治39(1906)年10月19日

没年
昭和50(1975)年1月16日

出生地
東京市下谷区二長町(現・東京都台東区)

本名
守田 俊郎

別名
前名=坂東 八十助(3代目)(バンドウ ヤソスケ),坂東 簑助(6代目)(バンドウ ミノスケ),俳名=坂東 みの介(バントウ ミノスケ),是好

屋号
大和屋

主な受賞名〔年〕
日本芸術院賞〔昭和41年〕,日本エッセイスト・クラブ賞(第17回)〔昭和44年〕「戯場戯語」,紫綬褒章〔昭和45年〕

経歴
大正2年3代目坂東八十助の名で初舞台、昭和3年6代目坂東簑助となる。若くして小山内薫に傾倒し、7年新劇場を結成、ヘイワードの「ポーギー」を上演。翌年「源氏物語」の劇化を企画したが、上演禁止。9年松竹を脱退して東宝に入り、10年第1次東宝劇団を結成、有楽座を本拠に公演したが、14年に解散。15年関西に移り、関西歌舞伎で活躍。戦後は武智歌舞伎に参加。36年東京松竹に復帰し、37年8代目三津五郎を襲名。均整のとれたキメ細かな芸風で、舞踊にも定評があった。晩年は老け、実悪、辛抱立役に優れた舞台を見せた。茶道、古美術に造詣深く、歌舞伎界の故事、先達の芸風にも通じ、“歌舞伎の生字引”といわれた。文筆家としても知られ、著書に「戯場戯語」「言わでもの事」「芸十夜」などがある。また俳句をよくし、簑助時代に虚子に師事して「ホトトギス」に投句。食通で料理を得意としたが河豚の肝にあたって急逝した。


坂東 三津五郎(9代目)
バンドウ ミツゴロウ

昭和・平成期の歌舞伎俳優,日本舞踊家 坂東流9代目家元。



生年
昭和4(1929)年5月14日

没年
平成11(1999)年4月1日

出生地
東京

本名
守田 光伸

別名
前名=坂東 八十助(4代目),坂東 簑助(7代目)(バンドウ ミノスケ)

屋号
大和屋

学歴〔年〕
青山小学高等科〔昭和19年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本芸術院賞(第47回)〔平成3年〕,紫綬褒章〔平成5年〕

経歴
昭和7年坂東光伸で初舞台。30年8代目三津五郎の女婿となる。同年5月4代目八十助、37年9月7代目簑助を襲名。50年8代目三津五郎の死後、舞踊名として坂東流家元坂東三津五郎となる。55年より登舞の会主宰。62年9月9代目三津五郎を襲名。舞踊に優れ、「喜撰」などを得意とした。芝居では「源氏店」の蝙蝠安や「権三と助七」の家主など脇役で活躍。


坂東 三津五郎(7代目)
バンドウ ミツゴロウ

明治〜昭和期の歌舞伎俳優,日本舞踊家 坂東流家元。



生年
明治15(1882)年9月21日

没年
昭和36(1961)年11月4日

出生地
東京

本名
守田 寿作

別名
俳名=是好,前名=坂東 八十助(2代目)(バンドウ ヤソスケ)

屋号
大和屋

主な受賞名〔年〕
文化功労者〔昭和35年〕

経歴
明治22年2代坂東八十助の名で初舞台。4代芝翫、9代団十郎の薫陶を受け、39年7代三津五郎を襲名。6代菊五郎、初代吉右衛門らと市村座に拠って活躍した。舞踊は軽妙、高雅であり、6代菊五郎とコンビの「棒しばり」「三社祭」など多くの名舞台を残した。大正10年市村座を脱退したが、その後も菊吉と歌舞伎の舞台で共演。昭和32年「寒山拾得」の舞台で倒れ、以後引退。著書に「三津五郎舞踊芸話」「三津五郎芸談」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「坂東三津五郎」の意味・わかりやすい解説

坂東三津五郎(10世)
ばんどうみつごろう[じっせい]

[生]1956.1.23. 東京,中央
[没]2015.2.21. 東京
歌舞伎俳優,日本舞踊坂東流家元。本名守田寿。9世坂東三津五郎の長男。1957年3月明治座傀儡師』の唐子でお目見え。1962年9月歌舞伎座『黎明鞍馬山』の牛若丸で 5世坂東八十助を襲名し初舞台。2001年1~2月歌舞伎座『喜撰』の喜撰法師,『寿曽我対面』の曽我五郎ほかで 10世坂東三津五郎を襲名。『勧進帳』の弁慶,『毛抜』の粂寺弾正,『魚屋宗五郎』の宗五郎,『髪結新三』(→梅雨小袖昔八丈)の新三,『金閣寺』の松永大膳,『蘭平物狂』の蘭平で確かな演技力を披露。舞踊では『喜撰』や『棒しばり』で名手ぶりを発揮した。映画は『武士の一分』(2006),『母べえ』(2007),テレビドラマは『功名が辻』,舞台では『芭蕉通夜舟』に出演。1987年度芸術選奨新人賞,1992年菊田一夫演劇賞優秀賞,2006年日本芸術院賞,2009年紫綬褒章,2014年読売演劇大賞最優秀男優賞受賞。著書『あばれ熨斗』(2001)など多数。

坂東三津五郎(8世)
ばんどうみつごろう[はっせい]

[生]1906.10.19. 東京
[没]1975.1.16. 京都
歌舞伎俳優,日本舞踊の坂東流家元。本名守田俊郎。7世三津五郎の養子。前名坂東簑助。 1962年襲名。立役。老け役,敵役を得意とし,所作事に優れた。 1973年重要無形文化財保持者に認定。

坂東三津五郎(9世)
ばんどうみつごろう[きゅうせい]

[生]1929.5.14. 東京
[没]1999.4.1. 東京
歌舞伎俳優,日本舞踊の坂東流家元。本名守田光伸。8世三津五郎の養子。前名坂東簑助。 1975年舞踊の名跡として継ぎ,87年襲名。6世尾上菊五郎,2世尾上松緑に師事,音羽屋系の芸を継承した。

坂東三津五郎(7世)
ばんどうみつごろう[ななせい]

[生]1882.9.21. 東京
[没]1961.11.4. 東京
歌舞伎俳優,日本舞踊の坂東流家元。本名守田寿作。 12世守田勘弥の子。前名坂東八十助。 1906年襲名し家元制を確立した。6世尾上菊五郎と並ぶ近代の舞踊の名人といわれ,49年日本芸術院会員,60年文化功労者。

坂東三津五郎(3世)
ばんどうみつごろう[さんせい]

[生]安永4(1775)
[没]天保2(1831).12.27. 江戸
歌舞伎俳優,日本舞踊家。坂東流の流祖。3世中村歌右衛門とともに文化文政年間 (1804~30) を代表する名優。和事,実事にすぐれ,『山姥』など多くの名作を残し,立役で初めて変化物を踊った。

坂東三津五郎(6世)
ばんどうみつごろう[ろくせい]

[生]弘化3(1846)
[没]1873
歌舞伎俳優,日本舞踊の坂東流家元。5世三津五郎の次男。 1856年6世襲名。門弟多数を擁立し,立女方として活躍したが夭折。没後直系は絶えた。

坂東三津五郎(4世)
ばんどうみつごろう[よんせい]

「守田勘弥(11世)」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「坂東三津五郎」の意味・わかりやすい解説

坂東三津五郎【ばんどうみつごろう】

歌舞伎俳優。屋号大和屋(やまとや)。現在10世。初世〔1745-1782〕は大阪生れ。初世坂東三八の養子となって江戸の俳優になった。3世〔1775-1831〕は初世の実子。化政期の江戸で3世中村歌右衛門と人気を競い,和事(わごと),実事(じつごと)のほか舞踊を得意とし,坂東流の開祖となった。7世〔1882-1961〕は12世守(森)田勘弥の長男。《喜撰》《傀儡師》などを得意とした舞踊の名人。1955年人間国宝。8世〔1906-1975〕は7世の養子。1962年襲名。1973年人間国宝。9世〔1929-1999〕は8世の女婿で1987年襲名。10世〔1956-2015〕は9世の長男で,5世坂東八十助を経て2001年襲名。2009年紫綬褒章受章(9世)。
→関連項目越後獅子

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朝日日本歴史人物事典 「坂東三津五郎」の解説

坂東三津五郎(3代)

没年:天保2.12.27(1832.1.29)
生年:安永4(1775)
文化文政期の歌舞伎役者。俳名秀佳。初代坂東三津五郎の子として江戸に生まれる。幼名坂東三田八。8歳で父と死別したが,順調に成長して花形役者となり,寛政11(1799)年25歳のとき,父の弟子2代目三津五郎より名跡を譲られ,初代坂東簑助から3代目を襲名した。父の芸風を継いで和事の第一人者となり,文化2(1805)年には上上吉の位付けを得た。文化5年江戸に下った3代目中村歌右衛門と人気を争い,贔屓客同士の喧嘩騒ぎを生んだ話は有名である。和事と並んで最も得意にしたのが舞踊で,特に当時流行した変化舞踊では5代目松本幸四郎,5代目岩井半四郎,3代目尾上菊五郎,7代目市川団十郎など他の名優を圧し,現代に残る演目も多い。鶴屋南北の作品にも多く出演したが,幸四郎と組んだ芝居では相手役に食われたものが多かったのは,幸四郎ほどの個性がなかったためであろうか。文政4(1821)年,評判記で極上上吉となる。風姿に優れ,性温順で,花実兼備といわれた。深川永木河岸に別宅があったので「永木の親方(親玉)」と称された。天保1(1830)年には無類の位に上った後,病没。日本舞踊坂東流の祖。<参考文献>伊原敏郎『近世日本演劇史』,守随憲治『歌舞伎序説』

(井草利夫)


坂東三津五郎(初代)

没年:天明2.4.10(1782.5.21)
生年:延享2(1745)
江戸時代中期の歌舞伎役者。俳名是業。屋号は代々大和屋。大坂の生まれ。初め竹田巳之助と名乗って大坂浜芝居の竹田座に出ていたが,明和3(1766)年初代坂東三八の養子となり,養父と共に江戸に下って坂東三津五郎と改め,立役として舞台に出る。たちまち頭角をあらわし,急速に人気を得て花形役者となり,安永6(1777)年の「将門冠初雪」の壬生忠見で「当座一」の評を得,安永9年刊の評判記には「此様にも急に上手にならるる物でござるか……何をせられてもよいよいとの評判,さりとはきようなお人」と賞された。容姿に優れ,和事を中心として役柄が広く,女形もできたが,口跡には浜芝居以来の臭味が残ったという。将来を嘱望されたが,位付けの上上吉を目前にして,惜しくも38歳で急死した。

(井草利夫)


坂東三津五郎(4代)

没年:文久3.11.18(1863.12.28)
生年:享和2(1802)
江戸後期の歌舞伎役者。江戸生まれ。生後すぐに3代目坂東三津五郎の養子となる。2代目簑助と名乗った若手時代は2代目中村芝翫(のちの4代目中村歌右衛門)と覇を争う人気役者だった。養父の没後4代目を継ぎ,3代目同様和事,実事,舞踊をよくした。晩年,中風を病んだので「よい三津」と呼ばれた。11代目森田勘弥を継いで,休座していた森田座を安政3(1856)年に再開,守田座と改めた。5代目は3代目の養子で人気女形だった初代坂東しうかに死後追贈され,6代目は5代目の実子の女形。7代目は大正から昭和にかけての舞踊の名人。8代目はその養子で舞踊,実悪,老役を得意とし,現代の9代目におよぶ。

(井草利夫)


坂東三津五郎(2代)

没年:文政12.10.3(1829.10.30)
生年:寛延3(1750)
江戸中・後期の歌舞伎役者。俳名仙花など。関西の生まれ。初名尾上藤蔵。京都で子役から修業ののち,安永3(1774)年江戸に下り,紋三郎と改名,初代坂東三津五郎の弟子となって頭角をあらわす。天明2(1782)年初代が没したとき,実子が若年だったため2代目を継いで立身したが,寛政11(1799)年,師の子初代簑助が25歳になったので,名跡を返還し2代目荻野伊三郎を名乗る。これからが真の活躍期で,享和3(1803)年には河原崎座で初の座頭となった。芸風は師の和事,実事を継ぎ,荒事,所作もよくした。80歳の高齢で没した。

(井草利夫)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坂東三津五郎」の解説

坂東三津五郎(10代) ばんどう-みつごろう

1956-2015 昭和後期-平成時代の歌舞伎役者。
昭和31年1月23日生まれ。9代坂東三津五郎の長男。昭和32年「傀儡師(かいらいし)」の唐子で初お目見得。37年「黎明鞍馬山」の牛若丸で5代坂東八十助を襲名し初舞台。平成13年10代坂東三津五郎を襲名。昭和62年芸術選奨新人賞,平成4年菊田一夫演劇賞優秀賞。18年「道元の月」の演技などで芸術院賞。21年松尾芸能賞大賞。25年毎日芸術賞。26年「髪結新三」などの演技で読売演劇大賞最優秀男優賞。平成27年2月21日死去。59歳。東京都出身。本名は守田寿。屋号は大和屋。

坂東三津五郎(8代) ばんどう-みつごろう

1906-1975 大正-昭和時代の歌舞伎役者。
明治39年10月19日生まれ。7代坂東三津五郎の養子。大正2年初舞台。昭和37年8代を襲名。実悪,老役(ふけやく)を得意とし,舞踊にもすぐれていた。文人で著作もおおい。41年芸術院賞。48年人間国宝。昭和50年1月16日フグ中毒で急逝。68歳。東京出身。本名は守田俊郎。初名は坂東八十助(やそすけ)(3代)。前名は坂東簑助(みのすけ)(6代)。俳名は喜好,是真。屋号は大和屋。随筆集に「戯場戯語」。

坂東三津五郎(4代) ばんどう-みつごろう

1802-1863 江戸時代後期の歌舞伎役者。
享和2年生まれ。3代坂東三津五郎の養子。天保(てんぽう)3年(1832)4代を襲名。嘉永(かえい)3年(1850)11代森田勘弥となり,森田座を再興。のち森田を守田にあらためる。中風にかかり「よい三津」とあだ名された。美男で和実,実悪をかね,所作事を得意とした。文久3年11月18日死去。62歳。江戸出身。前名は2代坂東簑助(みのすけ)。俳名は佳朝,秀朝,是好。屋号は大和屋,喜の字屋。

坂東三津五郎(3代) ばんどう-みつごろう

1775-1832* 江戸時代後期の歌舞伎役者。
安永4年生まれ。初代坂東三津五郎の子。寛政11年(1799)3代を襲名。3代中村歌右衛門ときそい,文化-文政期に活躍。和実,変化(へんげ)舞踊などの所作事を得意とし,舞踊坂東流の基礎をきずいた。天保(てんぽう)2年12月27日死去。57歳。江戸出身。初名は坂東三田八。前名は初代坂東簑助(みのすけ)。俳名は秀佳。通称は永木(えいき)の親方。屋号は大和屋。

坂東三津五郎(7代) ばんどう-みつごろう

1882-1961 明治-昭和時代の歌舞伎役者。
明治15年9月21日生まれ。12代守田勘弥の長男。明治22年初舞台。39年7代を襲名。6代尾上(おのえ)菊五郎,初代中村吉右衛門らと大正・昭和の歌舞伎界で活躍。古典の正統をつたえ,舞踊にすぐれた。昭和30年人間国宝。35年文化功労者。昭和36年11月4日死去。79歳。東京出身。本名は守田寿作。前名は坂東八十助(やそすけ)(2代)。俳名は是好。屋号は大和屋。

坂東三津五郎(2代) ばんどう-みつごろう

1750-1829 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
寛延3年生まれ。初代尾上紋太郎の門弟。天明5年(1785)2代三津五郎をついだが,寛政11年(1799)初代の実子初代坂東簑助(みのすけ)に名跡をかえし,2代荻野(おぎの)伊三郎を襲名。初代の芸風をつたえ,和実,老役(ふけやく)をよくした。文政12年10月3日死去。80歳。初名は尾上藤蔵。前名は尾上門(紋)三郎。俳名は里遊,是業,初朝。屋号は大和屋。

坂東三津五郎(9代) ばんどう-みつごろう

1929-1999 昭和-平成時代の歌舞伎役者。
昭和4年5月14日生まれ。8代坂東三津五郎の娘婿。昭和7年初舞台。4代八十助,7代簑助をへて62年歌舞伎座で9代坂東三津五郎を襲名。芸域はひろく,とくに老役(ふけやく)にすぐれた。舞踊坂東流家元。平成3年芸術院賞。平成11年4月1日死去。69歳。東京出身。本名は守田光伸。初名は坂東光伸。屋号は大和屋(やまとや)。

坂東三津五郎(6代) ばんどう-みつごろう

1846-1873 幕末-明治時代の歌舞伎役者。
弘化(こうか)3年生まれ。初代坂東しうかの次男。嘉永(かえい)3年(1850)江戸中村座で初舞台。安政3年6代を襲名。顔にあばたがあったので「あば三津」とあだ名された。女方を得意とした。明治6年9月11日死去。28歳。江戸出身。前名は坂東吉弥(初代)。俳名は秀歌,秀山。屋号は大和屋。

坂東三津五郎(初代) ばんどう-みつごろう

1745-1782 江戸時代中期の歌舞伎役者。
延享2年生まれ。初代坂東三八の養子。大坂浜芝居竹田座の立者(たてもの)だったが,明和3年(1766)江戸にいき坂東三津五郎を名のる。容姿がよく,女方,所作事などをかねたが,和実を得意とした。天明2年4月10日死去。38歳。大坂出身。前名は竹田巳之助。俳名は是業。屋号は大和屋。

坂東三津五郎(5代) ばんどう-みつごろう

坂東しうか(ばんどう-しゅうか)(初代)

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知恵蔵mini 「坂東三津五郎」の解説

坂東三津五郎(10代目)

歌舞伎役者、日本舞踊坂東流家元。屋号は大和屋。本名は守田寿(もりたひさし)。父は9代目坂東三津五郎、息子は2代目坂東巳之助。1956年1月23日、東京都生まれ。62年、5代目坂東八十助(やそすけ)を名乗り、初舞台を踏む。2001年に10代目坂東三津五郎を襲名し、時代物から世話物、新作まで幅広い役をこなす一方、テレビドラマや映画でも活躍。家の芸である踊りの名手としても知られる。06年に日本芸術院賞、09年に紫綬褒章を受章。15年2月21日、死去。享年59。

(2015-2-24)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

367日誕生日大事典 「坂東三津五郎」の解説

坂東 三津五郎(8代目) (ばんどう みつごろう)

生年月日:1906年10月19日
大正時代;昭和時代の歌舞伎役者
1975年没

坂東 三津五郎(9代目) (ばんどう みつごろう)

生年月日:1929年5月14日
昭和時代;平成時代の歌舞伎役者
1999年没

坂東 三津五郎(7代目) (ばんどう みつごろう)

生年月日:1882年9月21日
明治時代-昭和時代の歌舞伎役者
1961年没

坂東 三津五郎(10代目) (ばんどう みつごろう)

生年月日:1956年1月23日
昭和時代;平成時代の歌舞伎俳優

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の坂東三津五郎の言及

【坂東しうか】より

…前名坂東玉之助,初世坂東玉三郎。養父3世坂東三津五郎の俳名にちなみ,1839年(天保10)しうかと改名,42年上上吉に位付けされ,弘化~安政(1844‐60)にかけて8世市川団十郎と人気を競った。芸風がはなやかで風姿にすぐれた女方。…

【松羽目物】より

…その後菊五郎が《菊慈童》《羽衣》,団十郎が《素襖落(すおうおとし)》《三人片輪》を創演。大正期には岡村柿紅と6世尾上菊五郎,7世坂東三津五郎のコンビによって《身替座禅》《棒しばり》《茶壺》などの名作が作られた。【権藤 芳一】。…

【歌舞伎】より

…だが,南北の才能も,個性の強烈な実力派の役者たちがいてこそ花開いたものである。初世尾上松助(松緑),5世松本幸四郎,5世岩井半四郎,3世坂東三津五郎,7世市川団十郎,3世尾上菊五郎らの実力と個性をよく見きわめ,彼らの芸の魅力を十分に計算した上での作劇の成功が,南北を名作者たらしめたのである。南北の作品の中で,とくに〈色悪〉〈悪婆〉という新しい人間像の典型が確立したことも忘れられない。…

【坂東流】より

…日本舞踊の流派名。3世坂東三津五郎を流祖とし,現9世三津五郎に至る。3世は文化・文政期(1804‐30)の江戸随一の所作事の名手で,変化物(へんげもの)に名作を残した。…

【まかしょ】より

…振付3世藤間勘兵衛。3世坂東三津五郎七変化(しちへんげ)所作事《月雪花名残文台(つきゆきはななごりのぶんだい)》の一。当時の江戸市中を,〈まかしょまかしょ〉と叫びながら札をまき,寒参りを代行する願人坊主(がんにんぼうず)の姿を舞踊化したもの。…

【宗清】より

…振付4世西川扇蔵。3世坂東三津五郎,2世岩井粂三郎(6世岩井半四郎)の所演。義太夫節の《源氏烏帽子折(げんじえぼしおり)》2段目の翻案。…

【山帰り】より

…五変化所作事《法花姿色同(のりのはなすがたのいろいろ)》の一曲。演者は3世坂東三津五郎。作詞2世桜田治助。…

※「坂東三津五郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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