坂田こゆう(読み)サカタ コユウ

20世紀日本人名事典 「坂田こゆう」の解説

坂田 こゆう
サカタ コユウ

明治〜昭和期の女性 棋士坂田三吉の妻。



生年
明治14(1881)年

没年
昭和2(1927)年11月19日

出生地
大阪府和泉

旧姓(旧名)
竹田

経歴
明治39年棋士の坂田三吉と結婚し、三男三女を産む。賭け将棋生業とする夫の収入は常に不安定であり、家族を養うために彼女も働く。夫のプロ棋士転向後も楽にならない生活を支えながら、夫を励ました。夫は大正5年に八段となり、さらに14年には将棋界と絶縁して名人を名乗る。しかし間もなく病床につき、「アホな将棋はさしなはんなや」との言葉を遺して他界。三吉の生涯をモデルにした北条秀司戯曲王将」では、小春の名で登場する。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 旧姓

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坂田こゆう」の解説

坂田こゆう さかた-こゆう

1881-1927 明治-昭和時代前期,坂田三吉の妻。
明治14年生まれ。39年将棋棋士の三吉と再婚,3男3女を生む。夫の賭け将棋の収入にたよる生活はくるしく,みずからはたらき家計をささえた。北条秀司(ひでじ)の戯曲「王将」では,小春として登場する。昭和2年11月19日死去。47歳。大阪出身。
格言など】アホな将棋はさしなはんなや(三吉への最期の言葉)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む