デジタル大辞泉 「王将」の意味・読み・例文・類語
おう‐しょう〔ワウシヤウ〕【王将】
2 将棋の八大タイトルの一。王将戦の勝者がタイトルの保持者となる。
[補説]作品名別項。→王将
北条秀司(ほうじょうひでじ)の戯曲。全3部10幕。第1部(3幕)は1947年(昭和22)6月東京の有楽座、第2部(3幕)は1950年1月大阪歌舞伎座(かぶきざ)、第3部(4幕)は1951年11月京都の南座で、いずれも新国劇によって初演された。主演は辰巳柳太郎(たつみりゅうたろう)。文字も読めぬ阪田三吉が妻小春の励ましで棋士になり、関根(せきね)八段を破るが、名人位争いでは関根に敗れ、さらに小春に死別する(第1部)。阪田は後援者に推され関西名人となるが、近代将棋の波のなかでしだいに孤立していき(第2部)、落ちぶれたまま将棋一筋の生を終える(第3部)までをつづっている。庶民の英雄阪田の人間としての哀歓を描いた名作で、1948年伊藤大輔(だいすけ)監督、阪東妻三郎(ばんどうつまさぶろう)主演以来たびたび映画化もされている。
[水落 潔]
日本映画。1948年(昭和23)、伊藤大輔監督。原作は北条秀司の戯曲。職業棋士ではないが、将棋が滅法強い草履(ぞうり)職人の三吉(阪東妻三郎)は、七段の関根金次郎(滝沢修)との対局に敗れて以来奮起し、関根との対局に勝ち越すまでに至る。次の名人は関根か三吉かという問題が起こるが、三吉は名人位を関根に譲る。名人襲位の宴(うたげ)の席に訪れた三吉のもとに妻(水戸光子(みとみつこ)、1919―1981)危篤の報が届く。冒頭の三吉の快進撃の描写や、関根に対して三吉が奇手を打つ際の描写のように、将棋の場面では鮮やかな処理がみられる。一方、献身的な妻、厳しい意見をいう娘(三條美紀(さんじょうみき)、1928―2015)によって三吉が支えられていることが描かれており、本作は家庭劇的側面が強い。時代劇俳優として定評のある阪東だが、本作では将棋に没頭して家族を路頭に迷わせるものの、不思議と憎めない男を好演している。
[石塚洋史]
『『北条秀司戯曲選集1 王将』(1963・青蛙房)』▽『『映画史上ベスト200シリーズ 日本映画200』(1982・キネマ旬報社)』▽『佐藤忠男著『日本映画史2』増補版(2006・岩波書店)』▽『猪俣勝人・田山力哉著『日本映画作家全史 上』(社会思想社・現代教養文庫)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…生涯に書いたシナリオはみずから監督した作品を含め200本以上に及ぶ。戦後は阪東妻三郎主演の《素浪人罷通る》(1947),《王将》(1948)からキャリアをスタートさせた。《反逆児》(1961)で中村錦之助(のち萬屋錦之介)を,〈錦ちゃん〉の愛称で親しまれたアイドルスターから演技力と格調をそなえた大スターに仕立て上げた功績もあり,晩年は(とくに1970年の《幕末》を最後に映画から遠ざかってからは)錦之介主演で舞台化した《反逆児》を中心に,もっぱら舞台劇の脚本と演出に力を注いだ。…
…のち和解したが,晩年は不遇。没後の55年に実力が認められて日本将棋連盟より〈名人位〉〈王将位〉が追贈された。その翌年大阪府豊中市の服部霊園に墓碑が建てられた。…
…稲垣浩監督),《素浪人罷通る》(1947。伊藤大輔監督)や老練の円熟した立回りが印象的な伊藤大輔監督《おぼろ駕籠》《大江戸五人男》(ともに1951)で阪妻ならではの風格と貫禄を見せるが,晩年に至る名優・阪妻の人間的な魅力とイメージを決定づけたのは,〈無知〉な庶民(車夫)の純粋無垢な魂を描いた稲垣浩監督《無法松の一生》(1943)から,これも〈無学文盲〉の徒(将棋一途の無知で気のいい男・坂田三吉)の気高い魂を描いた伊藤大輔監督《王将》(1948)をへて,うわべはいばり散らしているものの根は無邪気でお人よしの〈雷親父〉の喜劇を描いた木下恵介監督《破れ太鼓》(1949)に至る現代劇であろう。51歳で病死。…
※「王将」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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