王将(読み)オウショウ

デジタル大辞泉 「王将」の意味・読み・例文・類語

おう‐しょう〔ワウシヤウ〕【王将】

将棋のこまの一。大将に相当する駒で、上下左右と斜めの八方に1けんずつ動ける。この駒が攻められて動けなくなったとき負けとなる。ひと組の駒には王将と玉将ぎょくしょうがあり、王将は上手うわてまたは後手ごてが用いる。王。
将棋の八大タイトルの一。王将戦勝者がタイトルの保持者となる。
[補説]作品名別項。→王将

おうしょう【王将】[戯曲]

北条秀司戯曲明治から昭和初期に活躍した将棋棋士坂田三吉半生を描く。伊藤大輔監督によって映画化されており、昭和23年(1948)公開阪東妻三郎主演版と、昭和37年(1962)公開の三国連太郎主演によるリメーク版がある。

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精選版 日本国語大辞典 「王将」の意味・読み・例文・類語

おう‐しょうワウシャウ【王将】

  1. 〘 名詞 〙 将棋のこまの一つ。主将にあたり、他のこまは、これの攻防にあたる。四方、四すみに一つずつ動くことができるが、敵に攻められて動けなくなったとき、その側の負けとなる。一組のこまの中には王将と玉将(ぎょくしょう)があって、機能は同じであるが、普通、上手(うわて)または後手が王将を用いる。王。
    1. [初出の実例]「象棋、〈略〉棋子両営、各有主将、一営王将、一営玉将、各馬主其次序」(出典:全浙兵制考日本風土記(1592)五)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「王将」の意味・わかりやすい解説

王将
おうしょう

北条秀司(ほうじょうひでじ)の戯曲。全3部10幕。第1部(3幕)は1947年(昭和22)6月東京の有楽座、第2部(3幕)は1950年1月大阪歌舞伎座(かぶきざ)、第3部(4幕)は1951年11月京都の南座で、いずれも新国劇によって初演された。主演は辰巳柳太郎(たつみりゅうたろう)。文字も読めぬ阪田三吉が妻小春の励ましで棋士になり、関根(せきね)八段を破るが、名人位争いでは関根に敗れ、さらに小春に死別する(第1部)。阪田は後援者に推され関西名人となるが、近代将棋の波のなかでしだいに孤立していき(第2部)、落ちぶれたまま将棋一筋の生を終える(第3部)までをつづっている。庶民の英雄阪田の人間としての哀歓を描いた名作で、1948年伊藤大輔(だいすけ)監督、阪東妻三郎(ばんどうつまさぶろう)主演以来たびたび映画化もされている。

水落 潔]

映画

日本映画。1948年(昭和23)、伊藤大輔監督。原作は北条秀司の戯曲。職業棋士ではないが、将棋が滅法強い草履(ぞうり)職人の三吉(阪東妻三郎)は、七段の関根金次郎滝沢修)との対局に敗れて以来奮起し、関根との対局に勝ち越すまでに至る。次の名人は関根か三吉かという問題が起こるが、三吉は名人位を関根に譲る。名人襲位の宴(うたげ)の席に訪れた三吉のもとに妻(水戸光子(みとみつこ)、1919―1981)危篤の報が届く。冒頭の三吉の快進撃の描写や、関根に対して三吉が奇手を打つ際の描写のように、将棋の場面では鮮やかな処理がみられる。一方、献身的な妻、厳しい意見をいう娘(三條美紀(さんじょうみき)、1928―2015)によって三吉が支えられていることが描かれており、本作は家庭劇的側面が強い。時代劇俳優として定評のある阪東だが、本作では将棋に没頭して家族を路頭に迷わせるものの、不思議と憎めない男を好演している。

[石塚洋史]

『『北条秀司戯曲選集1 王将』(1963・青蛙房)』『『映画史上ベスト200シリーズ 日本映画200』(1982・キネマ旬報社)』『佐藤忠男著『日本映画史2』増補版(2006・岩波書店)』『猪俣勝人・田山力哉著『日本映画作家全史 上』(社会思想社・現代教養文庫)』

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デジタル大辞泉プラス 「王将」の解説

王将

①北条秀司による戯曲。明治から昭和初期に活躍した将棋棋士、坂田三吉の半生を描く。
②①を原作とした1948年公開の日本映画。監督・脚本:伊藤大輔、撮影:石本秀雄。出演:阪東妻三郎、水戸光子、三條美紀、坂本武、斎藤達雄小杉勇、滝沢修ほか。
③1962年公開の日本映画。監督・脚本:伊藤大輔、撮影:藤井静。出演:三國連太郎、淡島千景、三田佳子、岡田由紀子、平幹二朗ほか。②のリメイク。
④日本のポピュラー音楽。歌は男性歌手、村田英雄。1961年発売。作詞:西条八十、作曲:船村徹。歌詞は大阪出身の将棋棋士、阪田三吉をイメージしている。③の主題歌。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「王将」の意味・わかりやすい解説

王将
おうしょう

戯曲。北条秀司作。新国劇により 1947年6月有楽座で初演。明治の末,大阪天王寺の裏長屋で貧乏暮しをしていた坂田三吉が,将棋の天分を生かし関西一の棋士になるまでを,妻小春の献身や娘玉江との葛藤をからめて描いた作品。 50年1月に第2部,同年 11月に第3部が初演された。第2部は,むりやり関西名人に推された三吉の悲哀,第3部は晩年の三吉の孤独と将棋への妄執を綴る。 48年には伊藤大輔監督で大映により映画化された。

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世界大百科事典(旧版)内の王将の言及

【伊藤大輔】より

…生涯に書いたシナリオはみずから監督した作品を含め200本以上に及ぶ。戦後は阪東妻三郎主演の《素浪人罷通る》(1947),《王将》(1948)からキャリアをスタートさせた。《反逆児》(1961)で中村錦之助(のち萬屋錦之介)を,〈錦ちゃん〉の愛称で親しまれたアイドルスターから演技力と格調をそなえた大スターに仕立て上げた功績もあり,晩年は(とくに1970年の《幕末》を最後に映画から遠ざかってからは)錦之介主演で舞台化した《反逆児》を中心に,もっぱら舞台劇の脚本と演出に力を注いだ。…

【坂田三吉】より

…のち和解したが,晩年は不遇。没後の55年に実力が認められて日本将棋連盟より〈名人位〉〈王将位〉が追贈された。その翌年大阪府豊中市の服部霊園に墓碑が建てられた。…

【阪東妻三郎】より

…稲垣浩監督),《素浪人罷通る》(1947。伊藤大輔監督)や老練の円熟した立回りが印象的な伊藤大輔監督《おぼろ駕籠》《大江戸五人男》(ともに1951)で阪妻ならではの風格と貫禄を見せるが,晩年に至る名優・阪妻の人間的な魅力とイメージを決定づけたのは,〈無知〉な庶民(車夫)の純粋無垢な魂を描いた稲垣浩監督《無法松の一生》(1943)から,これも〈無学文盲〉の徒(将棋一途の無知で気のいい男・坂田三吉)の気高い魂を描いた伊藤大輔監督《王将》(1948)をへて,うわべはいばり散らしているものの根は無邪気でお人よしの〈雷親父〉の喜劇を描いた木下恵介監督《破れ太鼓》(1949)に至る現代劇であろう。51歳で病死。…

※「王将」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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