江戸中期の武士。赤穂四十七士の最長老。名は金丸。浅野三代の藩主に仕え、槍術に秀で、三百石を有す。長矩のとき江戸留守居役となる。中山安兵衛を養子として隠居したが、主君内匠頭長矩が吉良上野介義央を刃傷に及び切腹後、父子共に吉良邸に討ち入った。元禄16年(1703)歿、76才。
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[1627~1703]赤穂義士の一人。名は金丸。娘婿の安兵衛とともに吉良邸の討ち入りに参加。
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1627-1703 江戸時代前期の武士。
寛永4年生まれ。赤穂(あこう)四十七士のひとり。播磨(はりま)(兵庫県)赤穂藩につかえて300石。兵法と長槍(ながやり)にすぐれ,江戸留守居役となる。元禄(げんろく)15年吉良義央(きら-よしなか)邸討ち入りに婿養子の安兵衛とともにくわわり,16年2月4日細川邸で切腹。77歳。四十七士中最年長者であった。名は金丸。
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没年:元禄16.2.4(1703.3.20)
生年:寛永4(1627)
江戸前期の武士。赤穂四十七士のひとり。名は金丸。寛文年間(1661~73)より浅野長直・長友・長矩3代の藩主に仕えた。槍術に秀で300石,長矩のときに江戸留守居役となる。男子がなく,高田馬場の仇討ちで勇名を馳せた中山(堀部)安兵衛を養子に迎えた。元禄14(1701)年,主君浅野内匠頭長矩が江戸城松の廊下で吉良上野介義央 に刃傷におよび切腹後,父子共に本所松坂町の吉良邸に討ち入った。四十七士中の最長老で,討ち入りの翌年,細川邸で切腹。弥兵衛が腕を見込んで娘の婿に望んだという「安兵衛婿入り」の演目は,安兵衛の高田馬場の仇討ちとセットになって講談や芝居に脚色され評判をとった。
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