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堀部安兵衛 ほりべやすべえ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

堀部安兵衛
ほりべやすべえ

[生]寛文10(1670).越後
[没]元禄16(1703).2.4. 江戸
江戸時代中期の赤穂藩の馬廻,使番。赤穂義士の一人。本姓,中山。名は武庸 (たけやす) 。舅菅野六左衛門高田馬場の決闘で助け,名をあげた。のち赤穂藩士堀部弥兵衛の養子となり,藩主浅野長矩の死後,大石良雄の同志として吉良家討入りに参加。

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デジタル大辞泉の解説

ほりべ‐やすべえ〔‐やすベヱ〕【堀部安兵衛】

[1670~1703]赤穂義士の一人。本姓は中山。名は武庸(たけつね)。高田馬場の決闘で武勇をあげ、赤穂藩士堀部弥兵衛の養子となった。

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百科事典マイペディアの解説

堀部安兵衛【ほりべやすべえ】

赤穂浪士の一人。名は武庸(たけつね)。実父中山弥次衛門は越後(えちご)新発田(しばた)藩溝口家に仕えていたが浪人となる。父の死後江戸に出て儒学や剣を学ぶうち,伯父・甥(おい)の義盟を結んだ菅野六左衛門が高田馬場(たかだのばば)で決闘したのを助太刀して勇名をあげ,望まれて赤穂藩士堀部弥兵衛の養子となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

堀部安兵衛 ほりべ-やすべえ

1670-1703 江戸時代前期の武士。
寛文10年生まれ。赤穂(あこう)四十七士のひとり。越後(えちご)(新潟県)新発田(しばた)藩士の子。江戸で寄宿先の菅野六郎左衛門の高田馬場での決闘に助太刀して勇名をはせ,播磨(はりま)(兵庫県)赤穂藩士堀部弥兵衛の婿養子となる。吉良義央(きら-よしなか)邸討ち入りにくわわり,元禄(げんろく)16年2月4日松平邸で切腹。34歳。大石良雄らとの往復書簡をまとめた「堀部武庸(たけつね)筆記」がのこる。本姓は中山。名は武庸。

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朝日日本歴史人物事典の解説

堀部安兵衛

没年:元禄16.2.4(1703.3.20)
生年:寛文10(1670)
江戸中期,赤穂事件四十七士のひとり。名は武庸,通称が安兵衛。越後(新潟県)新発田の溝口家の家臣中山弥次衛門の子。父の死後,浪人となり江戸に出て,高田馬場で知人菅野氏の助太刀を行い,堀部弥兵衛元赤穂藩江戸留守居役300石,隠居料20石に注目される。これがきっかけで弥兵衛の婿養子となり,江戸住の赤穂藩主浅野家家臣使番役200石となった。元禄14(1701)年の事件発生後の,大石良雄らとの往復書簡を整理した『堀部武庸筆記』は,江戸と上方との動静を示して貴重な史料であり,親交のあった儒者細井広沢に託された。安兵衛は武道において優れた才能を持ち,豪快な性格であった。その妻と伝えられる妙海尼は,偽物である。

(松島榮一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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デジタル大辞泉プラスの解説

堀部安兵衛

池波正太郎の長編時代小説。1967年刊行。

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世界大百科事典 第2版の解説

ほりべやすべえ【堀部安兵衛】

1670‐1703(寛文10‐元禄16)
赤穂浪士の一人。名は武庸(たけつね),安兵衛は通称。実父中山弥次衛門は越後新発田の溝口家に仕えていたが浪人。父の死後,武庸は江戸に出,舅菅野六左衛門が高田馬場で決闘したのを助け,仇数人を斬って中山安兵衛の勇名があがった。赤穂浅野家の家臣堀部弥兵衛金丸の養子となり,赤穂事件では高田郡兵衛奥田孫太夫とともに江戸の急進派として知られる。大石良雄らとの往復書簡を編集して残した《堀部武庸筆記》は,浪士らの考え方や事件の経緯を正確に示す,赤穂事件の最も重要な史料である。

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大辞林 第三版の解説

ほりべやすべえ【堀部安兵衛】

1670~1703) 赤穂浪士の一人。本姓中山。名は武庸。堀部弥兵衛金丸の養子。菅野六左衛門を助けた高田馬場の決闘で有名。

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世界大百科事典内の堀部安兵衛の言及

【忠臣蔵映画】より

…以後,東映,松竹,大映,東宝によるオールスター大作がつづき,78年には東映作品《赤穂城断絶》が,深作欣二監督,萬屋錦之介の大石内蔵助でつくられた。これらのほか,赤穂義士外伝ものは枚挙にいとまがないほどで,とりわけ堀部安兵衛を主人公にした作品が数多い。 また,変格ものとして,《忍術忠臣蔵》(1937),《女忠臣蔵》(1940),《浪曲忠臣蔵》(1943),《珍説忠臣蔵》(1953),《忍法忠臣蔵》(1965)などがあり,〈忠臣蔵〉を他の世界に置き換えた応用作品として,《俠客忠臣蔵》(1932),《学生忠臣蔵》(1933),《ジャズ忠臣蔵》(1937),《サラリーマン忠臣蔵》(1960),《長脇差忠臣蔵》(1962),《ギャング忠臣蔵》(1963),《わんわん忠臣蔵》(1963,動画)などがある。…

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