日本歴史地名大系 「塩生村」の解説
塩生村
しおのうむら
塩生村
しようなすむら
慶長九年(一六〇四)の田方検地帳写(木村文書)では高米二八〇石余・田畝一七町六反余、うち六割は下田・下々田。享保六年(一七二一)の田畠二四町三反余、池七、家数七九・人数六九四、船一四(備陽記)。文化年間の「岡山藩領手鑑」によると高三三一石余、直高三九一石余で池田和泉の給地、田一六町九反余・畑八町七反余、ほかに開方・新開として田畑九町二反余、池七、樋八、井戸七、石橋三、家数一二六・人数一千一三五・寺一軒(吉祥院)、牛八六、船一七、ほかに肥し舟一一、紺屋一軒(藍瓶一本)、桶屋・大工各一〇、木挽五・鍛冶二。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報