塩生村(読み)しおのうむら

日本歴史地名大系 「塩生村」の解説

塩生村
しおのうむら

[現在地名]下郷町塩生

本九々布もとこうぶ村の南、阿賀川右岸の低平地に立地。同川沿いに戦国期平田五郎忠照が住したと伝える館跡がある。南山御蔵入領松川組に属する。会津若松から下野宇都宮へ至る道(川路通)が通り宿駅であった。寛文六年(一六六六)の「会津風土記」では九九布こうぶ郷のうちに村名がみえる。享保五年(一七二〇)松川組ほか三組の農民約八〇〇人が田島たじま陣屋(現田島町)へ押掛け、当村彦左衛門が年貢の軽減と納入延期、拝借金の貸与などを求める訴状を差出した。


塩生村
しようなすむら

[現在地名]倉敷市児島塩生こじましようなす

通生かよう村の北、おお(二二三・五メートル)の西麓に位置し、西は瀬戸内海に面する。海上にあったたか島は陸繋化した。天神鼻てんじんはな南東の砂洲状地形は縄文時代の遺跡といわれ、古代の製塩地跡で、その北に石器散布地の金浜かなはま遺跡がある。本庄ほんじよう八幡宮の応永二八年(一四二一)一一月吉日の鳥居文に、願主として「塩生住人松井紀義泰」とある。

慶長九年(一六〇四)の田方検地帳写(木村文書)では高米二八〇石余・田畝一七町六反余、うち六割は下田下々田。享保六年(一七二一)の田畠二四町三反余、池七、家数七九・人数六九四、船一四(備陽記)。文化年間の「岡山藩領手鑑」によると高三三一石余、直高三九一石余で池田和泉の給地、田一六町九反余・畑八町七反余、ほかに開方・新開として田畑九町二反余、池七、樋八、井戸七、石橋三、家数一二六・人数一千一三五・寺一軒(吉祥院)、牛八六、船一七、ほかに肥し舟一一、紺屋一軒(藍瓶一本)、桶屋・大工各一〇、木挽五・鍛冶二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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