日本歴史地名大系 「塩田庄」の解説
塩田庄
しおだのしよう
荘域は上田市の南西、通称塩田平全域。南に
塩田庄の初見は「吉記」承安四年(一一七四)八月一六日条の「別当申信濃国塩田郷年貢、可進千段事、仰、可進寄文」である。その頃の範囲は必ずしも明確とはいいがたいが、塩田平のほぼ全域にわたることは疑いない。
建武二年(一三三五)足利氏が村上信貞に「塩田庄十二郷」を与えたと記され(太平記)、天正六年(一五七八)の上諏訪造宮帳(諏訪大社上社文書)に「三之御柱 小県郡拾二郷」として西松本・東松本・
塩田庄
しおたのしよう
塩田庄
しおたのしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報