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大久保忠真 おおくぼ ただざね

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大久保忠真 おおくぼ-ただざね

1782*-1837 江戸時代後期の大名。
天明元年12月2日生まれ。大久保忠顕の長男。寛政8年相模(さがみ)(神奈川県)小田原藩主大久保家第2次7代。寺社奉行,京都所司代をへて文政元年老中。天保(てんぽう)5年老中首座となり,米価の調節,二毛作の奨励,天保通宝の鋳造などをおこなった。天保8年3月19日死去。57歳。通称は秀次郎,新十郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

大久保忠真

没年:天保8.3.19(1837.4.23)
生年:天明1(1781)
江戸後期の相模小田原藩主。11万3000石。幕府老中。通称加賀守。奏者番,寺社奉行,大坂城代,京都所司代を経て文政1(1818)年老中となり,死ぬまでその職にあった。その在職中前半は土井利厚,水野忠成が幕政を主導しており,天保5(1834)年3月勝手掛となって以後主導権を握った。水戸の徳川斉昭と懇意にし,その間の往復書簡には御陵修復,仙石騒動,天保の飢饉対策,蝦夷地開発などが述べられている。水戸藩の会沢正志斎は忠真を評して「才智の勝れたりと云ふ方ではないが,着実な性質で,水野出羽守全盛の内閣に居ながら常に真心から国家の事を心配して居った」「間宮林蔵などと云ふ人も此人に引き立てられた」と述べている。

(針谷武志)

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世界大百科事典 第2版の解説

おおくぼただざね【大久保忠真】

1781‐1837(天明1‐天保8)
江戸後期の老中,小田原藩主。幼名秀次郎,新十郎。加賀守忠顕の子。1796年(寛政8)襲封(11万3000石)。奏者番,寺社奉行,大坂城代,所司代を経て1818年(文政1)老中。藩政としては人材登用,武芸奨励,藩校集成館創設,国産方設置,二宮尊徳の起用などの改革を実施した。歌集《春鶯集》がある。【内田 哲夫

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367日誕生日大事典の解説

大久保忠真 (おおくぼただざね)

生年月日:1781年12月2日
江戸時代後期の大名
1837年没

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世界大百科事典内の大久保忠真の言及

【小田原藩】より

…相模国(神奈川県)足柄下郡小田原に藩庁を置いた譜代中藩。1590年(天正18)大久保忠世が小田原4万石を領したのに始まり,忠世,忠隣(ただちか)の2代に検地の実施,酒匂(さかわ)川大口堤の修築,酒匂堰の開削等に意を注いだが,1614年(慶長19)忠隣改易によって城は番城,領地は幕府代官が預かった。その後阿部正次が一時在城した後,32年(寛永9)老中稲葉正勝が下野国真岡より移封(8万5000石),その子正則が老中のかたわら藩領経営に全力をあげ,小田原藩政の基礎を築いた(10万3000石,後11万3000石)。…

※「大久保忠真」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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