朝日日本歴史人物事典 「大久保忠真」の解説
大久保忠真
生年:天明1(1781)
江戸後期の相模小田原藩主。11万3000石。幕府老中。通称加賀守。奏者番,寺社奉行,大坂城代,京都所司代を経て文政1(1818)年老中となり,死ぬまでその職にあった。その在職中前半は土井利厚,水野忠成が幕政を主導しており,天保5(1834)年3月勝手掛となって以後主導権を握った。水戸の徳川斉昭と懇意にし,その間の往復書簡には御陵修復,仙石騒動,天保の飢饉対策,蝦夷地開発などが述べられている。水戸藩の会沢正志斎は忠真を評して「才智の勝れたりと云ふ方ではないが,着実な性質で,水野出羽守全盛の内閣に居ながら常に真心から国家の事を心配して居った」「間宮林蔵などと云ふ人も此人に引き立てられた」と述べている。
(針谷武志)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報