大久保忠真(読み)おおくぼただざね

改訂新版 世界大百科事典 「大久保忠真」の意味・わかりやすい解説

大久保忠真 (おおくぼただざね)
生没年:1781-1837(天明1-天保8)

江戸後期の老中,小田原藩主。幼名秀次郎,新十郎。加賀守忠顕の子。1796年(寛政8)襲封(11万3000石)。奏者番,寺社奉行,大坂城代,所司代を経て1818年(文政1)老中。藩政としては人材登用,武芸奨励,藩校集成館創設,国産方設置,二宮尊徳起用などの改革を実施した。歌集《春鶯集》がある。
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関連語 哲夫 内田

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大久保忠真」の解説

大久保忠真 おおくぼ-ただざね

1782*-1837 江戸時代後期の大名
天明元年12月2日生まれ。大久保忠顕長男。寛政8年相模(さがみ)(神奈川県)小田原藩主大久保家第2次7代。寺社奉行,京都所司代をへて文政元年老中。天保(てんぽう)5年老中首座となり,米価調節,二毛作の奨励,天保通宝鋳造などをおこなった。天保8年3月19日死去。57歳。通称は秀次郎,新十郎。

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367日誕生日大事典 「大久保忠真」の解説

大久保忠真 (おおくぼただざね)

生年月日:1781年12月2日
江戸時代後期の大名
1837年没

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世界大百科事典(旧版)内の大久保忠真の言及

【小田原藩】より

…相模国(神奈川県)足柄下郡小田原に藩庁を置いた譜代中藩。1590年(天正18)大久保忠世が小田原4万石を領したのに始まり,忠世,忠隣(ただちか)の2代に検地の実施,酒匂(さかわ)川大口堤の修築,酒匂堰の開削等に意を注いだが,1614年(慶長19)忠隣改易によって城は番城,領地は幕府代官が預かった。その後阿部正次が一時在城した後,32年(寛永9)老中稲葉正勝が下野国真岡より移封(8万5000石),その子正則が老中のかたわら藩領経営に全力をあげ,小田原藩政の基礎を築いた(10万3000石,後11万3000石)。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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