大仏村(読み)だいぶつむら

日本歴史地名大系 「大仏村」の解説

大仏村
だいぶつむら

[現在地名]八戸市尻内しりうち町 大仏など

八戸城下の西、浅水あさみず川右岸の沖積低地とそれに続く丘陵地に位置する。東は花崎はなさき村・矢沢やざわ村、西は盛岡藩七崎ならさき村、北は根市ねいち村、南は櫛引くしひき村に接する。建武元年(一三三四)には「上尻打」とともに工藤左衛門次郎の所領のうちであったとみられ、同年四月南部師行・戸貫出羽前司・河村又二郎の共預地となり(「多田貞綱書状」遠野南部文書)、さらに同年七月には伊達大炊助三郎次郎光助に新給された(「北畠顕家国宣」同文書)永禄(一五五八―七〇)頃には櫛引氏の所領であったが、元亀二年(一五七一)の根城南部氏との攻防により根城南部氏領になったとみられる(「南部八戸家系」南部家文書)

藩政当初は盛岡藩に属する。


大仏村
だいぶつむら

[現在地名]美里町白石しろいし

八王子構造線の山地から派生する丘陵に囲まれた村。北部を鎌倉街道上道が通り、道筋に沿って集落を形成する。東は中里なかざと村、南は湯本ゆもと村、西は白石村、北は広木ひろき村・駒衣こまぎぬ村。天正七年(一五七九)武田勝頼は越後上杉景勝和平を結んだため小田原北条氏と不和となり、北条氏政は当時北条方の最前線である広木・大仏に砦を築いている(関八州古戦録)


大仏村
だいぶつむら

[現在地名]安心院町大仏

龍王りゆうおう村の西、深見ふかみ川と新貝しんがい川の合流点付近にある。北東は上市かみいち村。近世の領主の変遷は古市ふるいち村に同じ。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、高二一六石余、人数五三、百姓(うち庄屋一)・牢人一・社人一、牛八・馬三。同改帳にみえる社人とは龍王村龍王社(現海神社)の社人で、寛永九年(一六三二)の宇佐宮社人在々罷居者抱分高辻改帳(到津文書)に高二六石一斗「龍王ノ勝兵衛」とある。勝兵衛家は中世より続いた社家で、大仏神楽(現在は安心院神楽とよぶ)の伝統を伝えた。同一二年の安西弥兵衛等連署奉書写(同文書)によると、龍王殿社領高一〇石が寄進され、「大村内当秋より可被致所務候、并諸役免許被仰付候」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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