大分稚見(読み)おおきだのわかみ

朝日日本歴史人物事典 「大分稚見」の解説

大分稚見

没年:天武8.3.6(679.4.21)
生年:生年不詳
壬申の乱(672)で大海人皇子(のちの天武天皇)側について活躍した武将。姓は君。豊前大分(大分市,大分郡)出身の豪族。乱が起きるや,近江方にいた大津皇子を救出することに成功した。大海人軍の主力村国男依の軍に加わって,不破(岐阜県不破郡)から近江に入り,近江軍主力との決戦にのぞんだ。瀬田(大津市)の大橋をはさんで大友皇子率いる近江方と対峙したとき,長矛をすて甲を重ね着て,雨のように降りそそぐ敵の矢をかいくぐって,橋を渡り敵陣に突入し,近江軍を潰滅させた。その武勲により死後外小錦上の位を贈られた。大分恵尺とは一族。<参考文献>直木孝次郎『壬申の乱』

(狩野久)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大分稚見」の解説

大分稚見 おおきだの-わかみ

?-679 飛鳥(あすか)時代の武人
大海人(おおあまの)皇子(のちの天武天皇)の兵衛。672年同族の大分恵尺(えさか)とともに大津皇子にしたがって近江(おうみ)(滋賀県)を脱出した。伊勢(いせ)(三重県)で大海人皇子と合流,瀬田の戦い先鋒(せんぽう)として大友皇子(弘文天皇)軍をやぶった。天武天皇8年3月死去。豊後(ぶんご)(大分県)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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