(読み)せい(英語表記)Qi; C`hi

  • 斉 Qí
  • 斉〔齊〕
  • 漢字項目

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中国の諸侯国の一つ。 (1) 代の侯国の一つ (前 11世紀~前 379) 姜。周初の功臣太公望呂尚 (りょしょう) が封建されてできたと伝えられ,都は臨 淄 (りんし。山東省臨 淄) 。春秋時代前期に桓公が管仲を用いて富国強兵策を行い,五覇の第1となった。その後は隣国と対立を続けたが,簡公4 (前 481) 年家臣の田氏が簡公を殺して専権ふるい,康公 15年 (前 386) 年田和 (でんか) が康公を追放して斉侯となり,姜姓の斉は滅亡した。 (2) 戦国時代の七雄の一つ (前 386~221) 。姓は田氏。田氏は氏とも呼ばれ,元来陳国の王族であったが,逃れて斉の桓公に仕え,次第に民心攬して他の貴族を圧倒し,康公 15年主君の位を奪い,諸侯となった。戦国時代中期威王,宣王の頃は政治,文化の一中心をなした (稷下の学) が,王健 44 (前 221) 年始皇帝に滅ぼされた。

劉予」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

中国の国名
春秋時代列国の一。武王によって呂尚(りょしょう)(太公望)が封ぜられた国。現在の山東省の地。都は臨淄(りんし)。前7世紀、桓公の時に覇者となったが、前379年、重臣の田氏に滅ぼされた。姜斉
戦国七雄の一。前379年、田氏がの国政を奪い建国。前4世紀後半に最盛期を迎え、山東省の全域を支配したが、前221年、に滅ぼされた。田斉
常用漢字] [音]セイ(漢) サイ(慣) [訓]ととのえる ととのう ひとしい
凸凹がなく等しくそろっている。そろえる。ととのえる。「斉一斉唱一斉均斉整斉・修身斉家
中国、春秋時代の国名。「斉東野人田斉
[名のり]きよ・ただ・ただし・とき・とし・なお・なり・ひさし・まさ・むね・よし

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

(1)中国,周代の侯国。現在の山東省にあり,臨【し】(りんし)に都した。前11世紀末,太公望呂尚(りょしょう)が封ぜられたのに始まるという。姓は姜(きょう)氏。春秋時代の前679年,第15代桓公(かんこう)は初めて覇者となった。のち内乱が続き,戦国時代に入って前386年田(でん)氏が国を奪った(田斉)。威王・宣王のとき,国勢は絶頂に達したが,前3世紀からは衰える。前221年に滅ぼされた。→春秋戦国時代(2)中国,南朝(南北朝)の一つ。南斉とも。479年武将の蕭道成(しょうどうせい)(のちの高)がの国を奪って帝位についた。次の武帝は内政の充実をはかり永明の治といわれたが,以後は内乱が続き,502年一族の蕭衍(しょうえん)(の武帝)に国を奪われた。(3)中国,北朝(南北朝)の一つ。北斉とも。550年東魏()の帝位を権臣の高歓が奪って建国西方の北周()と対立したが,北周により577年滅ぼされた。
→関連項目楽毅管仲魏晋南北朝時代戦国の七雄孫子武王六朝文化臨【し】古城址

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

中国,春秋時代の姜(きよう)姓の侯国。?‐前379年。戦国の田斉と区別して姜斉ともいう。前11世紀末,周建国の功臣太公望呂尚が営丘(山東益都県か?)に封ぜられたのにはじまる。のち現山東臨淄(りんし)県にうつる。春秋時代には疆域を拡大,第15代桓公は北の山戎やてき)を撃ち,北上するを抑え,周王室をたすけ,最初の覇者となる。その死後におされたが,山東を支配,晋・楚に対抗する大国であった。のち陳から亡命した田氏が大夫として力を得,前386年康公を閉して国を奪う。
中国,戦国七雄の一つ。前386‐前221年。姜(きよう)姓の斉と区別して田斉ともよぶ。前672年,陳の貴族田完が斉(姜姓)に亡命し,桓公に仕えて大夫となり,勢力を得た。のち斉の正卿の国氏,高氏を追放して国政を掌握し,前386年斉の康公を幽閉して国を奪い,周王より諸侯として承認された。威王,宣王のとき強盛となり,都の臨淄(りんし)(山東臨淄県)は最大の都市として繁栄,多数の学者も集まった(稷門(しよくもん))。
中国,南朝4王朝の一つ。479‐502年。北朝の斉を北斉と呼ぶのに対して南斉と呼ぶ。晋陵武進(江蘇省常州)に僑置された南蘭陵蘭陵の人,蕭道成(しようどうせい)(高帝)が創業。対北魏防衛の拠点である淮陰(わいいん)(江蘇省淮陰)の軍閥として実力を蓄え,中央に召されて軍政を担当,江州刺史桂陽王劉休範,荆州刺史沈攸之(しんゆうし)などの挙兵を平定して宋から王朝を譲られた。高帝と武帝の2代は開国の功臣や貴族の支持によって比較的安泰であったが,北魏との交戦によって疲弊し,また社会的には社会の底辺の寒人層の台頭が目だった。
中国の王朝。550‐577年。北斉,高斉ともいう。東魏の実力者高歓の死後,その地位を引き継いだその子の高澄は政権奪取を計画していたが,不慮の死をとげた。弟の高洋は革命を敢行して斉を建て(文宣帝),引き続き(ぎよう)を首都としたが,高氏の軍事根拠地である太原もその重要性を失わなかった。文宣帝は酒乱の暴君で,漢人貴族楊愔(よういん)らを股肱として一族,功臣をしきりに誅殺した。帝の死後その不満が爆発して宗室の諸王が楊愔らを殺し,その中心人物常山王演が功臣たちの支持によって即位した(孝昭帝)。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

周代の侯国。周の武王により呂尚(太公望)が封ぜられた国(?~前379)。今の山東省の地。桓公の時、春秋時代最初の覇者となったが、のち重臣の田氏に滅ぼされた。
戦国七雄の一。田氏がを滅ぼし、周王より諸侯に封じられて成立(前386~前221)。秦に滅ぼされた。田斉でんせい
南朝の一王朝。 → 南斉
北朝の一王朝。 → 北斉

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

精選版 日本国語大辞典の解説

中国の国名。
[一] 紀元前三七九年まで続いた周代の諸侯国の一つ。周の武王によって呂尚(太公望)が封ぜられた国。山東を領有。前七世紀に桓公の富国強兵策により五覇となった。二九世で、重臣の田氏に国を奪われた。姜斉(きょうせい)
[二] 戦国の七雄の一つ(前三七九‐前二二一)。周初以来の斉を、重臣の田氏が奪って建国。前者と区別するために田斉とも呼ばれる。山東を領有。前四世紀後半に最盛期に達したが、前二八四年燕に敗れて国力が傾き、秦・趙に圧迫され、やがて秦に滅ぼされた。都の臨淄を中心に商業活動が盛んで、刀貨が流通し、学問も栄えたので、諸子百家の中心地となった。
[三] 南北朝時代、南朝の第二王朝(四七九‐五〇二)。通称は南斉。宋の武人蕭道成(高帝)が宋の順帝の禅譲により建国。蕭(梁の武帝)に国を奪われ、七代で滅んだ。
[四] 南北朝時代、北朝の王朝(五五〇‐五七七)。通称は北斉、高斉。東魏の高洋(文宣帝)が建国。北周に滅ぼされた。
[五] 南宋初期、金の建てた王朝(一一三〇‐三七)。金の将軍宗翰が南宋の降臣劉予を皇帝として建国。山東、河南、陝西を領有したが、宗翰の失脚後廃された。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版の解説

①周代の諸侯国の一国
②南北朝時代の南朝の一国 479〜502
③南北朝時代の北朝の一国 550〜577
④南宋の初めに金が宋の降将劉予 (りゆうよ) を擁立して建てた国 1130〜37
太公望呂尚 (たいこうぼうりよしよう) が山東省臨淄 (りんし) に封じられたのに始まる。前7世紀,桓公は管仲 (かんちゆう) を重用して国勢を伸張し,春秋最初の覇者(春秋の五覇 (ごは) )となって,山東の大半を領有した。のち内乱により,前386年政権は家臣の田 (でん) 氏に帰した(これ以前を姜斉 (きようせい) ,以後を田斉と呼ぶ)。戦国の七雄の1つに数えられ,前4世紀末,都の臨淄は栄え,諸子百家の士が集まって戦国時代の文化の中心となった。前221年秦に滅ぼされた。
南斉ともいう。
北斉ともいう。 ➡ 北斉
山東・河南陝西の地を領有。その他,唐末の黄巣 (こうそう) も斉国皇帝を自称した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典内のの言及

【劉予】より

…中国,金の傀儡(かいらい)政権斉国の皇帝。在位1130‐37年。…

【山東[省]】より

…このように,地勢や気候からみて,山東は華北平原のなかで最も安定した自然条件をもつ地域であるといえよう。
【斉魯文化】

[大汶口文化と竜山文化]
 新石器時代,黄河中下流域には多様な文明が形成されたが,山東では約5000年前,大汶口(だいぶんこう)文化(泰安県大汶口遺跡を代表遺跡とする)と呼ばれる進んだ文化が,ほぼ山東全域に広がっていた。この文化は,同時期に西の中原地方にみられる仰韶文化とはやや性格を異にし,むしろ江南地方から淮河(わいが)下流域にみられる青蓮崗文化と共通するところが多く,山東より沿海に長江(揚子江)下流域まで続く,一連の文化が形成されていたと考えられる。…

【春秋戦国時代】より

…前半の大半の期間のことが魯国の年代記《春秋》に,後半のことが《戦国策》とよぶ書物に書かれているからである。前453年で二分するのは,春秋の大国晋の家臣であった韓・魏・趙の3代が主家を三分独立し,晋は事実上滅亡し,以後戦国の七雄といわれる韓・魏・趙・楚・斉・燕・秦の対立抗争の時代となるからである。
[歴史]
 《史記》によれば,春秋初めには140余の小国が分立していたが,勢力のあったのは,魯(山東省曲阜),斉(山東省臨淄(りんし)),曹(山東省定陶),衛(河南省淇県,のち滑県),鄭(河南省新鄭),宋(河南省商丘),陳(河南省淮陽(わいよう)),蔡(河南省上蔡,のち新蔡,さらに安徽省鳳台),晋(山西省曲沃),秦(陝西省鳳翔,のち咸陽),楚(湖北省江陵,のち河南省淮陽,安徽省寿県),燕(北京市)の十二諸侯であり,洛陽には周王室があった。…

【度量衡】より

… 春秋時代には生産力が増大し,土地私有が現れるようになると,各諸侯の国々では田賦をはじめとする賦税の徴収など,封建生産関係のなかで度量衡の整備が進んだ。春秋斉の国の右伯君銅権,楚の国の銅環権などの分銅が考古学的な証拠である。《左伝》の昭公3年(前539)の記事には,量目の升,豆(4升),区(4豆),釜(4区),鐘(10釜)が見え,陳氏が台頭した前5世紀の斉の国では四進法の容量が普及した。…

【魏晋南北朝時代】より

…220年漢帝国が滅亡してから589年隋によって中国が再び統一されるまでの時代。建康(南京)に首都を置いた呉・東晋・宋・斉・梁・陳の江南6王朝を六朝というが,六朝の語でこの時代を総称する場合もある。この時代の特徴は政治権力の多元化にあり,短命な王朝が各地に興亡して複雑な政局を織りなし,はなはだしい場合には十指に余る政権が併立した(図)。…

【南朝】より

…中国,東晋王朝を継いで江南に興亡した4王朝,すなわち(420‐479),(479‐502),(502‐557),(557‐589)の総称。北朝に対する呼名。…

※「斉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

ブルーインパルス

航空自衛隊に所属し華麗なアクロバット飛行(展示飛行)を披露する専門チーム。現在のチームは3代目となり、正式名称は宮城県松島基地の第4航空団に所属する「第11飛行隊」。チーム名の「青い衝撃」の意にちなん...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

斉の関連情報