日本歴史地名大系 「大和田新田」の解説 大和田新田おおわだしんでん 静岡県:静岡市旧有渡郡・庵原郡地区大和田新田[現在地名]静岡市大和田・小坂(おさか)寺田(てらだ)村の南に位置し、南は小坂村、東は青木(あおき)村。青木村・小坂村の地を分けて(駿河志料)、青木村の新田として成立したというが(修訂駿河国新風土記)、戦国期から大和田の地名がみえる。かつて持舟(もちふね)(用宗)・小坂のあたりは入江の湊で大和田浦といい、のちに埋もれて陸地となったという。そのため江戸時代でも高波のときには広野(ひろの)・持舟の海水が入ってきてしまうため、大圦樋を閉めて海水を防いだ(以上「駿河記」)。天文七年(一五三八)正月一五日の今川義元判物写(駿河志料)では、「大木之郷清林寺」を臨済(りんざい)寺末寺と領掌し、寺領田一町ほかを安堵する内容で、「大和田清林寺宗悦」に充てられている。 大和田新田おおわだしんでん 千葉県:八千代市大和田新田[現在地名]八千代市大和田新田大和田村・萱田(かやだ)村の西に位置。小金(こがね)牧のうち下野(しもの)牧に接しており、その一部が開発されて成立したが、元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では無高で幕府領。正徳元年(一七一一)の年貢割付状(白井家文書)によれば、反別三〇町七反の反高場で、地目は芝地、年貢は永一六貫二七一文。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by