大塚町(読み)おおつかまち

日本歴史地名大系 「大塚町」の解説

大塚町
おおつかまち

[現在地名]高槻市大塚町一―五丁目・西大樋にしおおひ町・南大樋みなみおおひ町・番田ばんだ一―二丁目・のぼり町・つつみ

大塚村の南にあり、檜尾ひお川の淀川流入口右岸、淀川右岸に位置する。大塚村の枝郷で(天保郷帳)、同村や同じく枝郷の番田村領と錯綜する。慶長一〇年(一六〇五)摂津国絵図では大塚村に含まれる。天和三年(一六八三)に分村し(元禄元年「高槻御領分指出し写」中村家文書)、享保二〇年(一七三五)摂河泉石高調では高三五九石余。天保郷帳では前記石高調にみえる大塚村新田一九石余(幕末には高槻藩預地)を加えて三七八石余。


大塚町
おおつかまち

[現在地名]三木市大塚一―二丁目・きみ峰町みねちよう

長屋ながや町の南、志染しじみ川下流左岸に位置する。東はしば町・宿原しゆくはら村。中世与呂木よろきや南接する君ヶ峰が久留美くるみ庄に属するところから久留美庄に所属したと考えられる。天正七年(一五七九)一〇月七日、羽柴秀吉は三木城を攻囲するため、「南八幡山、西平田、北長屋、東大塚城近五六町」(播州御征伐之事)の所に高さ一丈余りの築地を築いた。現在の大塚の西端と三木城跡までは約五〇〇メートルの距離にある。江戸時代は三木町の町方町の一町で、かみ五ヵ町に属する。慶長国絵図に町名がみえる。延宝年間(一六七三―八一)地方町の編成替えが行われ、当町付近の年貢地が地方町の大塚町とされた(延享二年「町方地方差別之訳言上書控」三木市有文書)


大塚町
おおつかまち

[現在地名]三木市大塚一―二丁目・きみ峰町みねちよう・大塚

町方町の大塚町の東に位置する。三木町の地方町の一町。正保郷帳では三木平山みきひらやまに含まれた。延宝年間(一六七三―八一)地方町の編成替えが行われ、町方町の大塚町方面の年貢地が地方町の大塚町とされた(延享二年「町方地方差別之訳言上書控」三木市有文書)町政としては地方町大塚町一町であったが、郷帳類では大塚町と大塚町侍屋敷に分けて記されている。元禄郷帳に町名がみえ高二五六石余、「古ハ平山町」と注記される。


大塚町
おおつかまち

[現在地名]前橋市三河町みかわちよう一―二丁目

城下町東端につくられた足軽居住区で、南は町人町中川なかがわ町。北東端気はけ川を挟んで百軒ひやつけん町、西は町人町のよし町に続く。近世史料に町名がみえず、百軒町のうちに含まれていたとも考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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