大宮城跡(読み)おおみやじようあと

日本歴史地名大系 「大宮城跡」の解説

大宮城跡
おおみやじようあと

[現在地名]富士宮市元城町

富士山本宮浅間大社東北東城山しろやまとよばれている地、および東側の丘の麓に築かれた戦国時代の複郭式の丘城。富士山麓と星山ほしやま丘陵との間に発達した潤井うるい川東岸の沖積地に立地する。大宮之城・富士城・富士屋敷神田かんだ屋敷とも。駿河と甲斐を結ぶ右左口うばぐち(中道)の要地にあった。

永禄四年(一五六一)八月二五日の今川氏真朱印状(井出文書)によれば、前年の桶狭間合戦における父義元の敗死以来、領国内に動揺を抱えていた氏真は、甲斐の武田氏、相模の北条氏の駿河侵攻に備えて、大宮城と興国寺こうこくじ(現沼津市)普請を行い、その用材を扱う富士北山きたやまの杣人四九名にはその他の諸役を免除している。これ以前の大宮城の規模は不明だが、この改築普請により複郭式の城となったと考えられる。大宮大宮司分代官職には村山むらやま浅間社の社僧つじ坊の葛山甚左衛門頼秀が任じられていたが、同年七月二〇日に葛山氏を罷免し、大宮城代に富士浅間社(富士山本宮浅間大社)大宮司の富士信忠を任命し、当城普請を勤めるよう命じている(「今川氏真判物」大宮司富士家文書)。これは南北朝期以来富士上方ふじかみかた富士下方に大きな影響力をもっていた富士氏を任命して、武田氏の駿河侵攻の際の押えとしたものであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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