大宮諏訪神社(読み)おおみやすわじんじや

日本歴史地名大系 「大宮諏訪神社」の解説

大宮諏訪神社
おおみやすわじんじや

[現在地名]小谷村大字中土 中谷 宮之場

元和五年(一六一九)一〇月八日の本殿造立の棟札によると、「両小谷惣社」としてこの神社は造立され、細工は現大町おおまち市大字大町に住んでいた宮大工の「金原周防守」となっている。このことは小谷地方に特に多い諏訪神社の中心的存在をなしていることを示すが、この神社の社殿の横へ古代の三坂峠みさかとうげ道と推定される道が下ってきていることから考えると、大宮諏訪神社として奉斎される以前は、峠神に関する斎場坂本さかもと神社としての性格をもった神社ではなかったかとの推測も可能な神社である。


大宮諏訪神社
おおみやすわじんじや

[現在地名]飯田市上飯田

上飯田かみいいだ村の北部宮の上みやのうえ段丘東端から一段下の宮の前みやのまえの傾斜地に鎮座する。祭神は建御名方命・八坂刀売命

「飯田町小史」によれば、慶安三年(一六五〇)飯田城主脇坂氏が社殿を再興し、享保八年(一七二三)現在地に移転した。旧県社。

寅年・申年の四月一日から三日まで、「大宮ねり祭」が行われる。慶安五年三月の大祭がねり祭の始まりといわれ、以後七年目ごとにねり祭を行った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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