長野県の諏訪湖を隔てて南北に上社(かみしゃ)・下社(しもしゃ)が鎮座。上社は本宮(ほんみや)(諏訪市中洲(なかす)、社殿は国重要文化財)と前(まえ)宮(茅野(ちの)市宮川)に、下社は春宮と秋宮(両宮とも諏訪郡下諏訪町、1キロメートル離れて鎮座)に分かれ、四宮をあわせて諏訪大社と称する。祭神は、上社には建御名方神(たけみなかたのかみ)、妃神(きさきがみ)の八坂刀売(やさかとめ)神を祀(まつ)り、下社には二神のほかに兄神の八重事代主(やえことしろぬし)神を配祀(はいし)するが、一般には古くから上社に男神、下社に女神の信仰が伝わっている。下社では祭神が2月1日から7月31日まで春宮に、8月1日から翌年1月31日まで秋宮に交互に鎮座されるため、半年ごとに遷座祭が行われる。建御名方神は父神大己貴命(おおなむちのみこと)、母神高志沼河比売命(こしぬなかわひめのみこと)の第2子で、『古事記』によれば、高天原(たかまがはら)使者の国譲りの要請に1人抵抗して科野国洲羽海(しなののくにすわのうみ)に逃れて、封ぜられたとある。神社の創建は明らかではないが、『延喜式(えんぎしき)』神名帳に「南方刀美(みなかたとみ)神社二座」とあって名神(みょうじん)大社とされる古社で、また信濃(しなの)国一宮(いちのみや)とされ、狩猟神、農業神、武神として朝野の信仰崇敬を集めてきた。中世には、神官の大祝(おおほうり)諏訪氏が源氏、北条氏と結び、政治的にも大きな勢力を形成。戦国時代には、武田氏の保護のもとに置かれた。全国1万余に上る諏訪社の本祠(ほんし)であり、江戸時代には社領1500石を授かった。旧官幣大社。旧神主家は諏訪の大祝と称し神裔(しんえい)が世襲し、奉行(ぶぎょう)職の矢嶋(やじま)氏は母神高志沼河比売命を遠祖とする。
例祭は上社4月15日、下社8月1日。上社例祭は御頭祭(おんとうさい)と称する特殊神事で、昔は鹿(しか)の頭75個を神供とする古式祭であったという。下社例祭は御船祭(おふねまつり)ともよばれ、遷座祭に引き続いて秋宮で行われる。そのほか主要神事に蛙狩並御占(かわずがりならびにおうら)神事(上社、1月1日)、筒粥(つつがゆ)神事(下社、1月15日)、御田植(おたうえ)神事(下社、6月30日)、御射山(みさやま)祭(上社・下社、8月26~28日)、御柱(おんばしら)祭などがある。なかでも7年に一度、寅(とら)年と申(さる)年に行われる式年造営の御柱祭は社殿の四方の柱を新しく建て替える行事で、とくに御柱の曳(ひ)き建ては、独特の木遣(きやり)唄とともに1000人余の氏子が曳行(えいこう)する豪快勇壮な行事として名高い。
諏訪湖の「御神渡(おみわたり)」は、海抜759メートルの高地にある湖面の自然現象を神霊渡御の跡として信仰したもので、湖面の結氷が夜間急激に冷え、収縮して裂け目を生じ、そのすきまに新しく結氷したものが昼間膨張して押し上げられ、氷上に道をつくる現象である。
[菟田俊彦]
『宮地直一著『諏訪神社の研究』上下(1931、1937・古今書院)』▽『三輪磐根著『諏訪大社』(1978・学生社)』
長野県に鎮座する古社。上社(かみしや),下社(しもしや)に分かれ,上社本宮は諏訪市中洲,上社前宮は茅野市宮川,下社春宮と下社秋宮は諏訪郡下諏訪町に鎮座。建御名方(たけみなかた)神,八坂刀売(やさかとめ)神をまつる。建御名方神は,またの名を建御名方富命,南方刀美神といい,《古事記》によると大国主神の子。天孫降臨に先立ち,大国主神に国土献上を問われたとき,その子事代主(ことしろぬし)神はすぐ承知したのに対し,建御名方神は反抗,追われて信濃国諏訪まで逃げたとあるが,古くよりこの地方の開発に当たった神として信仰される。八坂刀売神はその妃神という。本社の社域は上社本宮の神体山をはじめ社有林などあわせ広大な地域に及ぶ。神階は842年(承和9)従五位下とされてよりしだいに進み,867年(貞観9)従一位,のちに正一位となった。延喜の制で名神大社。のち信濃国一宮とされる。源氏がその挙兵時より守護をうけたことで,武家が武神として信仰,以後全国に勧請されたが,近世にも諏訪社の最高の存在である大祝(おおほうり)一族の諏訪藩主が崇敬保護をした。1916年官幣大社とされる。
例祭は上社4月15日,下社8月1日。他地方にみられぬ古来の特殊神事が多く,上社には1月1日の歳旦祭のあと,御手洗川で氷を割って蛙をとり,柳の小弓でこれを射て,矢串のまま神前に奉る蛙狩(かわずがり)神事があり,ついでその年の神事に奉仕する郷民を占い定める神秘の御占式がある。また上社の1月15日の五穀豊穣祈願の田遊神事,下社の同日の筒粥神事でその年の農作物の豊凶を占う。上社の4月15日の例祭のあとの御頭祭(おんとうさい)では本宮より前宮へ神輿(みこし)渡御のあと,古くは鹿の頭75個を供えて流鏑馬(やぶさめ)を行った。また下社の8月1日の御船祭(おふねまつり)は,2月1日秋宮から春宮へ遷座した神霊をふたたび秋宮へ移す祭りで,そのあと例祭がある。8月27日には上社,下社それぞれの狩猟地であった地での御射山祭(みさやままつり)がある。特殊神事中の最大のものは,寅・申の年の4月より5月にかけて行われる式年造営御柱大祭,俗に御柱祭(おんばしらまつり)といわれるそれで,桓武天皇の代に始まるともいわれる雄壮なこの祭りは,それぞれの神殿の四隅に樅(もみ)の大木を立てるもので,上社下社四社それぞれ計16本の大木が,上社は八ヶ岳の社有御小屋(おこや)林から,下社は東俣国有林から引き出される。
→諏訪氏 →諏訪信仰
執筆者:鎌田 純一
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長野県諏訪市中洲に上社,諏訪湖を隔てた下諏訪町に下社が鎮座。式内社・信濃国一宮。旧官幣大社。祭神は建御名方(たけみなかた)神・八坂刀売(やさかとめ)神。下社は事代主(ことしろぬし)神も配祀。上社は本宮と前宮に,下社は春宮と秋宮にわかれる。「延喜式」に南方刀美神社とあり,867年(貞観9)建御名方神が従一位,八坂刀売神が正二位を叙された。古来から軍神として武将の崇敬を集め,源頼朝をはじめ足利義満や信濃国守護小笠原長秀らの寄進をうけた。武田信玄は1565年(永禄8)退転していた祭祀を再興。徳川家光以下歴代将軍は上社に1000石,下社に500石の朱印領を安堵した。鎌倉時代以降,御射山(みさやま)祭に各地から武人が参集したため諸国に諏訪信仰が広まり,末社は全国に1万余社を数える。例大祭は上社4月15日,下社は8月1日。寅と申の年には式年造営御柱(おんばしら)大祭が行われる。境内は国史跡。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…長野県の諏訪大社において7年目ごと(申と寅年)の春に行われる式年大祭。地元では単に〈おんばしら〉といい,また〈みはしらさい〉とも呼ぶ。…
…東条も1323年(元亨3)地頭塩尻次郎重光が諏訪下社の神役用途を抑留して社家から訴えられている。諏訪大社は信濃国の一宮として国衙の支配が強く,それが塩尻郷が下社領となった要因であろう。塩尻重光は塩尻郷の開発領主の系統とみられ,居館は堀ノ内にあり,近くに五日市場がある。…
…信濃国の一宮であった諏訪大社の縁起。1356年(正平11∥延文1)成立。…
※「諏訪大社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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