大幸村(読み)だいこうむら

日本歴史地名大系 「大幸村」の解説

大幸村
だいこうむら

[現在地名]鳴門市大津町大幸おおつちようだいこう

段関だんぜき村の西にある。中央部をほぼ南北淡路街道が走り、南の牛屋島うしやじま村境から北の姫田ひめだ村に至る。南西部を大谷おおたに川がほぼ東へ流れ、その左岸沿いに姫田村から長岸ながぎし(現松茂町)に至る道が通る。天正一九年(一五九一)閏一月二三日、おき(段関村)および大幸村政所に宛てられた諸事御定書(民政資料)では、代官・下代の恣意的な百姓使役、搾取などが禁じられている。慶長二年(一五九七)の分限帳では沖大幸とみえ、益田内膳丞知行分一〇五石余・益田八右衛門知行分四〇六石余・北条七郎知行分一七四石余があった。正保国絵図には大幸村とあり、高六九一石余。寛文四年(一六六四)郷村高辻帳では田六〇四石余・畠八七石余、水損と注記される。

大幸村
だいこうむら

[現在地名]東区大幸町

東は愛知郡猪子石いのこし(現名東区・千種区)、南は鍋屋上野なべやうえの(現千種区・東区)と接する。北部矢田やだ川が流れ、矢田川を越して瀬戸街道通まで多くは大幸村であった(徇行記)矢田川の流域移動によるものであろう。矢田村とともに慶長一三年(一六〇八)検地の際、最初の竿入地であった(地方古義)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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