大悲願寺(読み)だいひがんじ

日本歴史地名大系 「大悲願寺」の解説

大悲願寺
だいひがんじ

[現在地名]あきる野市横沢

真言宗豊山派。金色山吉祥きつしよう院と号する。建久二年(一一九一)源頼朝の命で当地の領主平山季重が創建したという。本尊の木造伝阿弥陀如来三尊像は平安時代末から鎌倉期にかけての作で、国指定重要文化財。延文五年(一三六〇)四世の澄遍が衰微していた吉祥院を再興したという。「武蔵名勝図会」所収の天文一九年(一五五〇)八月一三日の不動三尊像銘文に吉祥院本尊不動明王坐像二童子立像と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「大悲願寺」の解説

大悲願寺

東京都あきる野市にある真言宗豊山派の寺院山号は金色山、院号は吉祥院。1191年の創建と伝わる。本尊の木造伝阿弥陀如来三尊像は国の重要文化財に指定。伊達政宗も賞賛した白萩で知られる。

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