大橋光吉(読み)オオハシ コウキチ

20世紀日本人名事典 「大橋光吉」の解説

大橋 光吉
オオハシ コウキチ

明治〜昭和期の印刷事業家 共同印刷社長



生年
明治8年8月26日(1875年)

没年
昭和21(1946)年7月3日

出生地
兵庫県城崎町

旧姓(旧名)
森垣

学歴〔年〕
豊岡高小〔明治23年〕卒

経歴
18歳で上京、明治27年博文館に入り、博進社印刷工場で勤務、31年総務部長。同年館主大橋佐平の三女幸子と結婚、大橋姓となる。39年絵はがき製造販売の石版印刷・精美堂設立。大正14年博文館印刷所を合併して共同印刷を設立し社長となった。同年欧米を訪問、印刷技術の改良に努め、また印刷所徒弟学校を精美堂印刷学校に改革、技術者を養成した。東京印刷同業組合長を務め、昭和6年日本書籍社長となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「大橋光吉」の意味・わかりやすい解説

大橋光吉 (おおはしこうきち)
生没年:1875-1946(明治8-昭和21)

共同印刷の創業者。兵庫県に生まれ,1894年博文館に入社。98年大橋佐平の三女幸子と結婚,森垣姓を大橋姓に改め,博進社印刷工場に勤務した。そのかたわら1904年日本葉書会を設立,月刊《ハガキ文学》を創刊した。06年絵はがきの製造販売および美術書の出版を目的とした精美堂を創業。また22年精美堂印刷学校(現,印刷工芸高校)を設立,後進育成にも努めた。25年博文館印刷所(1905年博進社印刷所を改組)と精美堂を合併して共同印刷を設立,取締役社長に就任した。26年共同印刷争議が起こったが,石山賢吉斡旋により2ヵ月余で解決した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大橋光吉」の解説

大橋光吉 おおはし-こうきち

1875-1946 明治-昭和時代前期の実業家
明治8年8月26日生まれ。大橋佐平の養子。明治27年博文館に入社,39年美術印刷の精美堂を設立。大正14年博文館印刷所と合併して共同印刷を設立し社長となる。翌年大争議がおこったが,徳永直の「太陽のない街」はこの争議を舞台としている。昭和21年7月3日死去。72歳。兵庫県出身。旧姓は森垣。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大橋光吉」の解説

大橋 光吉 (おおはし こうきち)

生年月日:1875年8月26日
明治時代-昭和時代の印刷事業家。共同印刷社主
1946年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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