20世紀日本人名事典 「大橋房太郎」の解説
大橋 房太郎
オオハシ フサタロウ
- 生年
- 万延1年10月14日(1860年)
- 没年
- 昭和10(1935)年6月30日
- 出生地
- 摂津国東成郡放出(大阪府)
- 学歴〔年〕
- 明法館(現・関西大学)
- 経歴
- 家は代々摂津東成郡(大阪府)放出村の庄屋。真宗の高僧・江村秀山に師事、また明法館で法律を学んで、東京に出て鳩山和夫の書生になるが、明治18年淀川大洪水の知らせを受け帰郷、この大災害を機に淀川治水工事への取り組みを決意する。米屋を開いて生計を立て、20年放出村戸長となり、24年大阪府議に当選、7期連続26年間務める。また淀川治水会副会長を務め、29年洋行帰りの技師・沖野忠雄のプランによる「淀川改修法案」の国会通過に貢献し、42年竣工される。のち水路に土砂の流出を防ぐ「淀川低水工事」始める運動を起こし、大正6年の淀川再氾濫後は淀川再改修規成同盟を結成、12年から暴風雨に負けない堤防工事を継続させるなど、36年間に渡り改修工事に尽力し「淀川治水の父」と感謝された。また大阪・鶴見区の寝屋川改修工事(昭和2年完成)にも貢献、記念碑に「府議・大橋芳太郎の尽力による」と記された。公共事業に私財を投じたため、放出村の自宅は借金の形に取られ、長瀬や生野の借家を転々とし、金銭的には全く恵まれなかったという。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報