出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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鳩山 和夫
ハトヤマ カズオ
- 肩書
- 衆院議員(政友会),衆院議長,早稲田大学総長,帝大法科大学教授
- 生年月日
- 安政3年4月3日(1856年)
- 出生地
- 江戸
- 出身地
- 岡山県
- 学歴
- 開成学校法律科〔明治8年〕卒
- 学位
- 法学博士(第1号)〔明治21年〕
- 経歴
- 美作国勝山藩士・鳩山博房の四男。大学南校、開成学校を経て、明治8年渡米、コロンビア大、エール大で法律を学び、13年帰国。東大法学部講師となるが、15年辞任して代言人(弁護士)となり東京代言人組合長、東京府会議員を務めた。18年外務省権大書記官として条約改正に参画。19年帝大法科大学教授に就任、教頭。23年弁護士に復帰。25年以来衆院議員当選9回、立憲改進党、進歩党に属し29年衆院議長、31年外務次官を歴任。この間、東京専門学校校長、早大総長を務める。晩年立憲政友会入党。
- 没年月日
- 明治44年10月4日
- 家族
- 妻=鳩山 春子(共立女子大創立者) 長男=鳩山 一郎(首相) 二男=鳩山 秀夫(東大教授・衆院議員) 孫=古沢 百合子(家庭生活研究会会長) 鳩山 威一郎(参院議員)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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鳩山和夫
はとやまかずお
(1856―1911)
弁護士、政治家。美作(みまさか)国(岡山県)真島(まじま)藩士の子に生まれる。1875年(明治8)開成学校卒業後、アメリカに留学し、コロンビア大学、エール大学で法律を学び、1880年帰国した。東京大学講師、代言人(弁護士)として活躍。1885年外務権大書記官(ごんのだいしょきかん)、取調局長に任ぜられて条約改正の仕事に携わり、ついで帝国大学法科教授となる。その後教授を辞して弁護士となり、政界に入る。1896年衆議院議長、1898年外務次官。その間、東京専門学校長、早稲田(わせだ)大学総長も務める。長男に鳩山一郎、次男に鳩山秀夫がいる。
[淡路剛久]
『鳩山春子編『鳩山の一生――伝記・鳩山和夫』(1997・大空社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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鳩山和夫
没年:明治44.10.4(1911)
生年:安政3.4.3(1856.5.6)
明治期の弁護士,政治家。美作勝山藩(岡山県真庭郡)藩士鳩山博房の第4子として,江戸の藩邸に生まれる。大学南校,開成学校を経て,コロンビア大,エール大に留学。13年7月には法学博士の学位を得て帰国,東大法学部講師となるが,卒業証書授与式での演説内容が要路者の忌諱に触れ失職。その後代言人に転じて,15年3月東京代言人組合会長に就任。18年4月外務権大書記官,19年2月取調局長となり条約改正問題に参画。同年4月帝大法科大教授兼任。23年1月官職を辞して再び弁護士界に身を投じ,25年2月衆院議員に当選。以後東京で連続9回当選し改進党,進歩党に参加。29年12月衆院議長,31年9月憲政党内閣で外務次官。東京専門学校(後の早大)校長,早大総長も務め,晩年は立憲政友会に入党した。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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鳩山和夫 はとやま-かずお
1856-1911 明治時代の弁護士,政治家。
安政3年4月3日生まれ。鳩山春子の夫。鳩山一郎,鳩山秀夫の父。美作(みまさか)(岡山県)勝山藩士の子。東京開成学校卒業後,コロンビア大,エール大に留学。代言人(弁護士),帝国大学教授をへて,明治25年衆議院議員(当選9回,政友会)。衆議院議長,外務次官。東京専門学校(現早大)校長をつとめた。明治44年10月3日死去。56歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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鳩山 和夫 (はとやま かずお)
生年月日:1856年4月3日
明治時代の政治家;弁護士。外務大臣;法学博士
1911年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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