日本歴史地名大系 「大橋町」の解説
大橋町
おおはしちよう
三条大橋の東詰にあたるのでこの町名がある。
洛外だが洛中に至近の地として町地化は早い。寛永(一六二四―四四)の平安城東西南北町並之図に「橋つめ町」、次いで承応二年(一六五三)の新改洛陽並洛外之図に「大はし東爪町」の名がある。寛文二年(一六六二)の新板平安城東西南北町並洛外之図には「大はし東爪町」に隣接して「二丁目」「三丁目」があり、この二町の派生がわかる。
地誌では寛文五年(一六六五)刊「京雀」が早く、正徳五年(一七一五)刊「都すゞめ案内者」は「大橋詰町」、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「大橋東一町目」(もしくは「一町目」)の表記をみるも、しだいに「橋詰町」「大橋町」の略称が通行し、江戸時代後期には大橋町の名が固定する。
大橋町
おおはしまち
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報