日本歴史地名大系 「大物忌神社吹浦口之宮」の解説
大物忌神社吹浦口之宮
おおものいみじんじやふくらくちのみや
鳥海山の裾野が日本海に延びる舌状台地の突端、吹浦
「続日本後紀」承和五年(八三八)五月一一日条に大物忌神が正五位に叙されたとある。大物忌神社は「延喜式」神名帳に掲載された名神大社で、古代出羽国では国家辺境の守護神として特別な存在であった。元慶の乱の頃、月山神も勧請され、両神合せて両所宮と称された。吹浦口之宮は本殿に至る登拝口にあたり、近くには神宮寺も置かれていた。鎌倉期に幕府の両所宮造営命令が「北目地頭新留守」に出され(承久二年一二月三日「関東御教書」大物忌神社文書)、南北朝期には北畠顕信の所領寄進をうけるなど(正平一三年八月三〇日「北畠顕信寄進状」同文書)、武士の崇敬もうけた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報