大礼の議(読み)たいれいのぎ

改訂新版 世界大百科事典 「大礼の議」の意味・わかりやすい解説

大礼の議 (たいれいのぎ)

中国,明代嘉靖(1522-66)初期の朝廷紛議弘治帝の子正徳帝は,子も兄弟もなくして没したため,弘治帝の弟興献王の子が迎えられて嘉靖帝となった。嘉靖帝は正徳帝の従弟に当たる。このとき大学士楊廷和,礼部尚書毛澄らは,洪武帝遺訓と先朝の例を引いて,嘉靖帝は生父母との親子関係を改めて叔父母関係とし,正徳帝を兄とするとともに,弘治帝夫妻を父母とし,それぞれその礼式をもって処遇すべきだと主張した。しかし嘉靖帝はこれを喜ばなかったので,その意に投じた進士張璁(ちようそう),南京刑部主事桂蕚(けいがく)らは,天子孝道を全うするためには,生父母との親子関係を断つことなく,宮城内に別に廟(みたまや)を建ててこれを祭り,弘治帝夫妻は伯父母関係とすべきだと主張し,廷議はこれに落着した。この問題は,元来皇統の継承にまつわる家族制度上の問題であるが,歴史的には廷臣派と皇帝派が3年半のあいだ争って,政治を空白にしたところにむしろ問題がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大礼の議」の意味・わかりやすい解説

大礼の議
たいれいのぎ
Da-li; Ta-li

中国,明の嘉靖帝時代 (1521~66) の政争。弘治帝の子正徳帝には子も兄弟もなかったので,遺詔により弘治帝の弟興献王の子厚そうが迎立されて嘉靖帝となったが,その生父興献王の祭礼尊号をめぐって紛議が生じた。大学士楊廷和らは嘉靖帝に弘治帝を皇考 (父) ,興献王を皇叔父と称するように上言したが帝はこれを喜ばず,一方帝の意をくんだ桂萼らは弘治帝を伯父の関係とすべしと上言した。結局弘治帝を皇伯考 (伯父) ,興献王を皇考とすることで決着したが,その間4年にわたり廷論は2分され,紛糾した。

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