大祭天石門彦神社(読み)おおまつりあめのいわとひこじんじや

日本歴史地名大系 「大祭天石門彦神社」の解説

大祭天石門彦神社
おおまつりあめのいわとひこじんじや

[現在地名]浜田市相生町

三子みつご山麓鎮座。直前を浜田川が流れ、対岸には正蓮寺しようれんじ山が迫る。オオマツリアメノイワカドノヒコノカミノヤシロとも称する。通称は三宮さんくう神社で、史料には黒河くろか大明神などともみえる。祭神は天石門別命・建御名方命。旧県社。「延喜式」神名帳に載る那賀郡の同名社に比定され、石見国の三宮とされる。創建年代は不詳だが、棟札によれば、阿波の忌部族が石見の山守部となった時に創建され、承和二年(八三五)に信州諏訪社から建御名方命を配祭神として勧請、文治年間(一一八五―九〇)に正一位三宮大明神の称号を賜ったという。神主は岡本氏と称し、伝承では近江国浅井あざい岡本おかもと郷に興り、一〇世紀中頃に祐顕・政信兄弟が石見に来て土着したという。祐顕は神社の土居に住み、政信は今福いまふく(現金城町)の城に住んで、それぞれ分家が多数生れたという。

康永三年(一三四四)閏二月六日の平時恒譲状写(岡本家文書、以下すべて同文書)に黒河大明神とみえる。岡本氏は一四世紀中頃には山頭職(神領山の管理者としての権限)を有する惣領と庶子とが現黒川くろかわ町・河内こうち町一帯に散在する神田を領有し、一族共同で祭祀を行っていたとみられる(康永二年正月日西志譲状写、前掲平時恒譲状写など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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