日本大百科全書(ニッポニカ) 「自然史博物館」の意味・わかりやすい解説
自然史博物館
しぜんしはくぶつかん
「自然史」という語はナチュラル・ヒストリーnatural historyの訳語として使われる。このナチュラル・ヒストリーという語を最初に使ったのは、ローマ時代末期の博物学者プリニウス(大)であったといわれる。自然史博物館が取り扱う対象は、地球の生成、気象学、天文学、動物学、植物学、地質学、古生物学、鉱物学、人類学など自然そのものの歴史である。広い意味では、生きた標本を取り扱う自然史博物館として、動物園、植物園、水族館などを含めることもできるが、一般的にはこれらは自然史博物館とは別に扱うようになっている。
自然史博物館の最初は、1793年フランスのパリの王立植物園が改組され国立自然史博物館となったときとされ、イギリスでは大英博物館(1759年開館)から1880年に自然史関係が独立して自然史博物館が設立されている。アメリカでは、地質学者スミソンJames Smithson(1765―1829)が死後にアメリカ政府に寄贈した膨大な遺産をもとに、スミソニアン・インスティテューションが設立され、その付属施設としてスミソンが収集した8000点に及ぶ鉱物コレクションを中心にして国立自然史博物館が1903年に開設された。
日本では幕末になって自然史博物館の存在が知られるようになる。1860年(万延1)日米通商条約批准書取り交わしのために派遣された一行は、アメリカでスミソニアン・インスティテューションを見学、そこで両生類・爬虫(はちゅう)類の液漬標本、哺乳(ほにゅう)類の剥製(はくせい)標本、魚類の飼育標本などを見た記録が残っている。また、1862年(文久2)に派遣された遣欧使節団の記録のなかには、ロシアで見学した施設に「博物館」の名称を用いているものがある。
日本では、博物館につながるものとして物産会が大きな影響を与えている。これは、自然物を多くの人々に公開して知識を普及させようというもので、1757年(宝暦7)田村藍水(らんすい)が江戸の湯島で開催したのが最初とされる。物産会はまさに自然物を収集、整理、観賞させる機能を果たしており、自然史博物館の役割の一部を担っていたといえよう。このようななかから動物学や植物学も芽生え、発展していく礎(いしずえ)ともなったのである。
日本において博物館が成立するのは、1871年(明治4)に文部省が設置され、省内に博物局ができ、それ以前に物産局が収集していた資料を受け継ぎ、その資料を観覧する場所が湯島聖堂内に設けられ、そこが文部省博物館といわれるようになったときである。その後、万国博覧会との関係などでこの博物館は姿を消した。そして1875年、文部省博物館が復建され、すぐさま東京博物館と名称が変更され、この博物館が今日の国立科学博物館の前身となった。わが国の自然史博物館はここから始まるといってよいであろう。
自然史博物館は、人類と自然の接点をとらえ、自然の中にいる人類がいかに自然を破壊しないで自然を利用し、共存していかなくてはならないかを考える場、すなわち自然そのものの仕組みを人々に知らしめる場でなくてはならない。
地球全体をとらえるような総合的な自然史博物館も必要であり、地域性をもった自然史博物館も必要である。そして、自然史博物館の学問的存在意義が、系統分類学的研究を行うところにあるように受け止められているが、けっしてその領域にとどまるものではなく、その地域により、それぞれに要請される自然のあり方について回答を出せるような研究も求められている。今日、自然史博物館が資料を展示していくことが基本になるのは当然であるが、その展示のなかに現代的課題の解決にヒントを与えるような構成がなければ、自然史博物館の本来の姿、役割を果たすことはできないといえる。
[雀部 晶]