大谷亮吉(読み)おおたにりょうきち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大谷亮吉」の意味・わかりやすい解説

大谷亮吉
おおたにりょうきち
(1875―1934)

科学史家。兵庫県に生まれる。東京帝国大学物理学科を卒業。病身のためとくに職につかず、学士院嘱託として研究を行った。彼のもっとも大きな仕事は、大著『伊能忠敬(いのうただたか)』の刊行である(1917)。本書は第1編が忠敬経歴、第2編が測地事業、第3編が忠敬の師友や門弟について記している。郷土史料、忠敬の測量日記、測量用具や使用法、高橋至時(よしとき)、間重富(はざましげとみ)ら関係者の史料などを駆使し、測地については近代物理学的な視点からも評価するなど、科学者伝記として優れたものである。大正末年になって大阪高等学校および第三高等学校の兼任教授となった。

[菊池俊彦]

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20世紀日本人名事典 「大谷亮吉」の解説

大谷 亮吉
オオタニ リョウキチ

明治〜昭和期の科学史家



生年
明治8年(1875年)

没年
昭和9(1934)年

出生地
兵庫県

学歴〔年〕
東京帝大物理学科〔明治31年〕卒

経歴
病身のため官職につかず、大正末年にはじめて大阪の高等学校教授に就任。学士院嘱託時代に著わした「伊能忠敬」は日本の科学者の伝記として最大・最高のものとされている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大谷亮吉」の解説

大谷亮吉 おおたに-りょうきち

1875-1934 大正-昭和時代前期の科学史家。
明治8年生まれ。学士院の嘱託として研究をおこない,大正6年「伊能忠敬(いのう-ただたか)」を刊行,科学者の伝記としてたかい評価をうける。のち大阪高と三高の教授をつとめた。昭和9年死去。60歳。兵庫県出身。東京帝大卒。

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