科学の研究をその任務として人間社会の構成にかかわっている人々をいうが、今日では、普通、自然科学を研究の対象にして、その体系化のために研究に携わる人をさすことが多い。生産手段の改善など主として応用面の研究に携わる技術者とは区別されるが、科学の組織化、体制化が進み、科学研究が経済主体としての産業や政治と密着してきた今日では、「科学技術者」の用語で包括される場合がある。
[藤村 淳]
科学者の発生は近代科学の成立にその起源をみるべきであろう。古代にも自然に対する洞察とその体系化への努力はあった。しかし、ある自然観の下に自然の解釈を概念的に展開することから一歩進めて、これを経験と結合し、むしろ経験のうえに自然の理解を位置づけようとする人々が現れたのは、17世紀のいわゆる「科学革命」の時代であった。彼らは自然法則を解明するための実験の方法を創出して、これを論証的推論と結合させた。これが近代科学の出発である。いわば技術的な発展を背景にして成立した新しい社会の体制、すなわち近代市民社会の成立が科学者という新しい階層を生み出したのである。彼らは一面では知的伝統を受け継ぐ宗教家、思想家であり、他面では技術的蓄積を吸収発展させる技術家、啓蒙(けいもう)家であった。彼らの出身は小貴族、商人、聖職者、医者、技術家などで、知的な豊かさと生活のゆとりをもった社会階層であった。彼らの科学研究はその生計とは密着せず、また社会的生産にも直接の関係をもたなかった。これが一つのプロトタイプとして後世に影響をもつことになる。
[藤村 淳]
近代科学のあり方を経験論的、実証的に基礎づけたF・ベーコンの思想は、17世紀に科学者の協同組合としての学協会(アカデミー)の成立で実を結んだ。イギリスのロイヤル・ソサイエティーが、当時進行しつつあった市民革命を背景に王権からの独立を意図したのに対し、パリ科学アカデミーは、経済的自立の困難を理由に政府機関として組織された。ここでは会員たる科学者は王からの給与を受ける身であり、このことが科学研究の職業化の始まりとなったともいえる。
学協会は組織化による知識の累積と豊富化を意図したが、これはベーコン的精神を絆(きずな)とする一つの思想団体でもあり、やがて科学者の一種の共同体へと進展する。そこでは共通の概念、信条が生まれ、規範となる科学も生まれた。そうしたことからして学協会は、反権力の芽を内包するものでもあった。
[藤村 淳]
産業革命は技術の役割を飛躍的に増大させた。そして技術の進歩への社会的な要求の強まりは科学に大きな刺激を与え、科学研究は技術に促進される形で新たな進歩の段階に入った。
このような科学的高揚のなかでフランス啓蒙思想の果たした役割は大きい。旧制度への批判を旗印にした百科全書派の活動はベーコン精神の直接の復活であり、「科学こそ人間社会の進歩の基盤」としたこれら啓蒙思想家の思想は、個々の科学間の相互援助、科学の事業の歴史的連続性を目ざして、科学アカデミーの身分制を批判してこれを改組し、さらに科学者を養成する機関の設立へと結実した。1794年に設立されたエコール・ポリテクニクは、このようなフランス革命期の高揚を背景に、科学技術が社会において果たす役割の重要性を積極的に政策化して、社会的な意味での科学者の計画的養成に出発した試みであり、多くの優れた人材を生み出して、フランスの科学はもとより、その後の科学全般の発展に大きな影響をもたらした。
17世紀に未分化であった科学者と技術者は、一方では機械などの発明・改良に専心する技術者と、他方では自然法則そのものの論理化、体系化に関心をもつ科学者との分業化の段階に進んだ。しかもこの分業化は、科学・技術双方の内容の多様化、複雑化とともに、科学と技術との、また科学者と技術者との相反分離への道を開くものとなった。
[藤村 淳]
資本制生産の下で技術者は生産手段の改良・発明の担い手として重要な社会的位置を占める。一方、自然法則そのものの純粋な研究に専念した科学者は、生産に直接かかわらないもの、現実の生活に役だたないものとみなされ、科学者の側からさえも「社会から超越した学」「真理のための真理」がいわれるようになった。こうして科学者は社会的には変則的な形で固定化した。
職業としての科学者という面では、科学研究そのものにかかわってきたにもかかわらず、それを独立した職業として社会的に位置づけるという観念は希薄であった。そのため科学者の大部分は教員という形で、本来は教育機関である大学に位置づけられた。このことは、大学を研究機関たらしめる効用をもった反面、社会と隔絶した高踏的な科学や超俗的なアカデミズムを育てる結果となった。また一方では、経済的な面での社会との結び付きを希薄にし、のちには科学研究の推進にとって、ときとしてさまざまな障害を生み、ゆがみをも生じさせたが、同時に、科学研究の方向については、外部からの規制・介入を結果的に弱めるという効用の面もあった。
[藤村 淳]
二度にわたる世界的規模の戦争を契機に、科学の状況は大きく変化した。資本制生産の下で資本の論理の下に跛行(はこう)的に展開してきた技術と科学であったが、戦争という極限状況の下での資本の集中的投入と組織的研究は、科学の技術化、技術の実用化の速度を著しく速めた。この方法は戦後になって産業と科学の密着、すなわち科学―技術―産業の図式を明確に示すものとなる。また国家独占資本主義の段階で科学は、産業と政府とによる強力なバックアップと同時に、管理・規制をも受けることとなった。政府や企業によって設立される大規模な研究所が増え、研究機関としての大学も拡充され、集団による組織的な研究方式が進展した。科学者の数は急激に増大し、20世紀初頭に全世界で数万人といわれた科学者人口は数百万人の多数に達してきている。
[藤村 淳]
このような状況で、科学研究の集団化、研究の統制管理が進められ、しかもそれは産業というより、政治―国家政策としての側面が強まり、科学者の地位は、これら大きな組織のなかの一構成員に変貌(へんぼう)しつつあるのが現状であろう。
第二次世界大戦後、こうした事態を憂える科学者のなかから科学者運動が巻き起こった。大戦を通じての亡命、地下抵抗運動、科学研究動員計画、マンハッタン計画と原爆投下、またその後の原爆の国際管理をめぐる動きなど、科学と国家をめぐる多くの苦悩に直面した科学者たちは、科学に従事する人々を科学労働者として位置づけ、科学労働者連盟を組織した。これはやがて世界科学者連盟に結集され、1948年の科学者憲章へと発展した。しかし、今日の科学者が抱える問題は大きい。科学各分野の跛行の問題、科学の研究内容の変質、組織的研究と独創性の問題、巨大科学の暴走への危惧(きぐ)、などである。これらは、科学者のあり方、科学者の社会的責任の問題と同時に、科学と社会のかかわり方について、いま一つ新しく鋭い問題を投げかけている。
[藤村 淳]
『J・D・バナール著、鎮目恭夫訳『歴史における科学』全四巻(1967・みすず書房)』▽『E・マクレンスキー著、大野木克彦・黒沼稔訳『科学技術者』(1960・勁草書房)』▽『J・D・バナール著、坂田昌一他訳『科学の社会的機能』(1981・勁草書房)』
理論的ないしは実験的研究を通じて科学知識の探究に努める人々。科学技術文明に基礎づけられた現代社会において,科学者は高度な知的専門職とみなされており,主として大学・高等教育機関や各種の研究所に所属している。彼らは研究に必要な施設,機器,資金を供与され,社会的にも経済的にも比較的恵まれた立場にある。しかし,科学者の存在とその役割が社会にとって自明のこととなったのは,比較的最近のことである。
古代ギリシア・ローマや古代中国においても,自然に対する深い思索や探究がなされ,体系化された自然観が構築されていた。しかし,これらの先駆的な科学的営みは,十分に継承・発展させられることはなく,近代的な意味での科学として開花するには至らなかった。その原因は,伝統的社会に特有の階級制度や,科学知識が技術・生産活動と遊離していたことなどだとされている。同時に,伝統的社会における〈知識〉の性格や〈知識人〉の社会的役割に着目する必要もある。すなわち,伝統的社会にあっては,国家社会ないしは個人のあり方,生き方に関する,すぐれて倫理的・宗教的な思索と学説が,知識人に課せられた最も重要な使命であり,自然の探究そのものが独自の営みとしてなされることは少なかったのである。したがって,自然哲学者たちは知識人全体の中で傍流にとどまり,しだいに忘れられていった。すなわち,伝統的社会では,自然哲学の担い手たちは,自然哲学の自律的な発展に必要な社会的認知の獲得に成功することができなかったのである。しかし,科学革命と呼ばれる,16~17世紀西欧における近代科学の成立の過程を通じて,西欧社会ではしだいに自然哲学=科学の固有の役割が認められるに至った。これには,コペルニクスの地動説,ガリレイの運動論,デカルトの機械論哲学,ニュートンの力学体系など,個々の科学的業績による自然観,学問観の変革とならんで,この時期,西欧各国で結成された科学研究のための各種の学会やアカデミーに結集した人々の幅広い活動がおおいにあずかって力があった。かくて,歴史上はじめて〈科学者の役割scientist's role〉が確立されたのであった。
科学革命を通じて科学者の役割が確立されたとはいっても,19世紀初頭までの科学者の多くは,科学そのものを職業としていたわけではなかった。すなわち,彼らの多くは,裕福な貴族,地主,商人また医師,聖職者として科学研究以外のところに生計の基盤を有していたのである(有力なパトロンの支援を受けていたものもいたし,ごく一部には大学教師もいた)。したがって,彼らにとって,科学研究は趣味ないし気晴しであり,上品なレクリエーションであったといえる。このような意味で,彼らの多くは〈アマチュア科学者〉であった。しかし,19世紀を通じて,科学の専門分化とそれに伴う高度化が進み,科学研究は他に本業をもったアマチュア科学者の余暇や私財では手に負えないものとなってきた。その一方,大学・高等教育機関の中に,科学教育・研究のコースや講座・研究所が数多く設置されるようになり,知的才能に恵まれた青年が正規の教育体系の中で科学を体系的に習得する道が整備されるようになった。かくて,今日みられるようなプロフェッション(知的専門職)としての科学者を,組織的に養成し,再生産することが可能となったのである。1830年代,scientist(科学者)という語が,ケンブリッジ大学の数学者W.ヒューエルによって提案され,従来のnatural philosopher(自然哲学者)に代わって広く用いられるようになったことは,科学の専門職業化をいみじくも象徴しているといえよう。また,19世紀を通じて,科学の専門分化と高度化に対応して,さまざまの分野で個別的・専門的な学会・協会が誕生した。
科学研究は科学者たちがつくり上げている集団,すなわち科学者集団scientific communityの中で遂行されている。したがって,ある科学者の研究成果が優れた価値をもったものであるかどうか,換言すれば科学的発見という名に値するものかどうかについての評価は,科学者集団に属する科学者たちによってなされる。そして,同僚科学者たちから高い評価を受けた科学者は一流の科学者として認知され,それにふさわしい報酬(一般的な名声,高い地位,多額の研究資金,優秀な助手や後継者など)を与えられる。逆に,同僚科学者から高い評価を受けるような研究成果をあげられない科学者は,二流・三流の科学者とみなされ,社会的にも経済的にも劣悪な研究条件を甘受せざるをえない。このようなプロセスを通じて,科学者集団の中に階層的な構造がつくり出される。それゆえ科学者たちは,同僚科学者による評価と認知を求めて,科学者集団の中で絶え間ない業績競争にさらされているといえる。この競争から生ずる圧力が,科学者集団に活力を与え,科学者の研究意欲を刺激しているわけである。その一方で,科学的発見がだれに帰属するかをめぐって,しばしば激烈な先取権priority争い(引力の逆自乗則をめぐるニュートンとフックの争いがよく知られている)が生ずることにもなる。また,一部の科学者が功名心に駆られ,実験データの改ざんや他人のアイデアの盗用など,不正な逸脱行動に走るのも,科学者集団に特有の評価・認知システムが背景となっている。
こんにち,先進諸国は平均してGNP(国民総生産)の約2%を科学技術の研究開発に投入している。そして,現代では科学とその技術的応用が密接になったため,科学者の研究成果はさまざまな形で,社会全体に,また人々の日常生活に大きな,そして深刻な影響を及ぼしている。たとえば,エレクトロニクスやそれを利用したコンピューターの発達と普及によって,高度に情報化された社会が実現した。一方,原子核エネルギーの解放の結果,核兵器が誕生し,人類は一歩誤れば絶滅しかねない瀬戸際に追い込まれるに至った。また,大量生産・大量消費に基礎をおく物質文明が広範な環境汚染を引き起こしている。すなわち,科学者は好むと好まざるとにかかわらず,社会に深く組み込まれた存在となっているわけであり,その影響も過去とは比べものにならないほど大きくなっているのである。それゆえ科学者は,個々人としても集団としても,科学研究の社会的意味や社会的影響について,これまで以上に自覚的であらねばならない。このような状況のなかで,科学者の社会的責任をめぐって多くの議論が生じ,科学者憲章が提案されたりしている。
→科学
執筆者:成定 薫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
… とくに注目すべきは,専門的,職業的な研究活動にすでに言及されていることである。イギリスでは科学者に相当する単語scientistが1830年代になって造られている。これは,そのころから研究を職業とし,研究する時間に対して対価を払われることを当然と考える人間が現れてきたことを意味している。…
※「科学者」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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