日本歴史地名大系 「大鉱山跡」の解説 大鉱山跡おおびこうざんあと 長野県:南安曇郡安曇村大野川村大鉱山跡[現在地名]安曇村大野川大野(おおの)川番所金山平にある。鉛・銀山。武田信玄によって発見されたと伝えられている。初見は、正保年間(一六四四―四八)の国絵図で、「此山先規より銀少々宛出る」とある。享保九年(一七二四)の「信府統記」によれば、この鉛山は松本藩の先の城主(堀田氏)のときからあって、いつ始まったか明白でないこと、当家(水野氏)になって忠清(寛永一九年)から忠職まで(正保四年―寛文八年)の間繁盛して諸国から金掘そのほか商人が入り込んで町屋も形成されて、その絵図が今も藩庁に残っていること、忠直(寛文八年―正徳三年)の時からしだいに衰えてここ三〇年来鉛も余り出ないので、町屋もだんだん減じて近年は残らず退転し、忠周の時(正徳三年―享保三年)に再び採掘したが、鉛がないのでやめてしまったとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by