改訂新版 世界大百科事典 「大阪三品取引所」の意味・わかりやすい解説
大阪三品取引所 (おおさかさんぴんとりひきじょ)
大阪市東区北久太郎町(現,中央区久太郎町)にあった商品取引所。略して〈三品〉ということが多く,三品取引所ともいう。大阪は,江戸時代すでに近郊産出の綿花から綿糸,綿布の製品に至る綿関係の集散地だったが,明治年間に入って近代綿紡績業が発展するとともに,その原料綿花の多くを輸入に依存するようになった。この結果,輸入綿花の作柄の豊凶,綿製品輸出市場の動向など変動要因が多くなり,関連業者の間に取引の安全,円滑を図る場を求める動きが徐々に強まっていった。このため,1893年3月の取引所法公布(従来の米商会所条例,株式取引所条例,取引所条例は廃止)をきっかけに綿糸,綿花,木綿上場の機運が強まり,94年2月〈株式会社大阪糸,綿,木綿取引所〉を設立(農商務省所管),まず綿糸20番手を上場して同年立会を開始した。これが〈三品〉の名の起りで,1901年には〈株式会社大阪三品取引所〉と改称している。日露戦争,第1次大戦を経て綿業が隆盛をきわめ,三品相場は綿糸の国際的な指標価格となった。日華事変以降,繊維の統制が強まるにつれて取引は低迷,42年には解散に至った。第2次大戦後,綿紡績業の回復,綿製品統制の緩和につれ,三品取引所再開の要望が強まり,50年の商品取引所法施行を踏まえ,51年6月会員組織の〈大阪三品取引所〉を設立(通産省所管),綿糸20番手を上場,立会を開始した。綿糸は生産の細番手化を映し,55年30番手,57年40番手が上場されている。綿布は設立時に細布と並幅を上場したが,5年後に立会休止,綿花は62年,前年の輸入自由化を受けて上場したが,主産国アメリカの価格安定策による価格の安定もあって利用者が少なく,64年には立会を休止した。84年大阪化学繊維取引所と統合され大阪繊維取引所となり,97年同取引所と神戸ゴム取引所が合併して大阪商品取引所となる。2007年中部商品取引所と合併して中部大阪商品取引所となり,10年現在名古屋市に事務所を置いている。
→商品取引所
執筆者:米良 周
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報