大類 伸
オオルイ ノブル
大正・昭和期の歴史学者 東北帝国大学名誉教授。
- 生年
- 明治17(1884)年2月22日
- 没年
- 昭和50(1975)年2月27日
- 出生地
- 東京市神田区(現・東京都千代田区)
- 学歴〔年〕
- 東京帝大文科大学史学科〔明治39年〕卒,東京帝大大学院〔大正4年〕修了
- 学位〔年〕
- 文学博士(東京帝大)〔大正4年〕
- 経歴
- 大学卒業後ドイツ、フランス、イタリアに2年間留学。帰国後大正4年「日本城郭の研究」で文学博士。5年東京帝大講師、10年助教授を経て、13年東北帝大教授となった。昭和12年帝国学士院会員。19年定年退官、名誉教授。戦後、日本女子大教授、明治大学教授となった。西洋中世史を中心に古代から近代、また日本史と研究は広範囲にわたった。著書に「西洋中世の文化」「西洋史新講」「ルネサンス文化の研究」「ルネサンスの問題」「日本城郭史」「桃山の春」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
大類伸
おおるいのぶる
(1884―1975)
歴史学者、文学博士、東北帝国大学名誉教授、学士院会員。東京に生まれる。東京帝国大学史学科卒業。同大学講師、助教授を経て、1924年(大正13)東北帝国大学教授。その間に西洋中世史研究のためフランス、ドイツ、イタリアに留学(1920~22)する。東北帝大退官(1944)後、日本女子大学、明治大学教授を歴任。J・ブルクハルトやK・ランプレヒトの学説摂取に基づく文化史観を掲げ、昭和初期のわが史学研究に多大な影響を与えた。『城郭の研究』、『日本城郭史』(共著)は日本城郭史の最初の体系的な学的研究であり、『西洋中世の文化』『ルネサンスの研究』はおのおのの研究分野における画期的著作であった。さらに『西洋史新講』『西洋文化史観』はその文化史観を示す通史であり、歴史理論と方法論は『現代史学』『概論歴史学』などに述べられている。また『歴史と自然と人』『桃山の春』などの随筆集は博士の美意識や歴史観を示すものである。
[小室榮一]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
大類伸 おおるい-のぶる
1884-1975 大正-昭和時代の西洋史学者。
明治17年2月2日生まれ。ヨーロッパ留学後,大正13年東北帝大教授となる。のち日本女子大,明大の教授。西洋の中世文化史,ルネサンス史の研究で知られた。また日本の城郭を研究した。学士院会員。昭和50年12月27日死去。91歳。東京出身。東京帝大卒。旧姓は伊藤。著作に「西洋史新講」「ルネサンス文化の研究」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
大類伸
おおるいのぶる
[生]1884.2.22. 東京
[没]1975.12.27. 藤沢
歴史学者。東京大学卒業 (1906) 。東北大学教授 (24) 。同大学名誉教授。日本城郭研究で学位 (15) 。西洋の中・近世史を文化史観によって研究。また日本でのルネサンス研究の草分けとして知られる。主著『ルネッサンス文化の研究』『西洋史新講』。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
大類 伸 (おおるい のぶる)
生年月日:1884年2月22日
大正時代;昭和時代の歴史学者。日本女子大教授;明治大学教授
1975年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の大類伸の言及
【西洋史学】より
…日本の西洋史学は,日本史,東洋史と同様,1887年帝国大学(現,東京大学)に新設された史学科に,ドイツの歴史家[L.リース]が招かれ,近代歴史学の実証的な研究方法を伝えたことをつうじて,その学問的基礎を獲得した。その後,明治後期,大正から昭和10年ごろにいたる,いわば西洋史学の開拓時代には,リースがランケの門弟だったこともあって,[箕作元八](近代フランス史),村川堅固(1875‐1946,ギリシア・ローマ史)らに代表される政治史が主流で,大類伸(1884‐1975),原随園(1894‐1984)らのリードする文化史はむしろ副次的位置を占め,また一般に対象が著しく西欧諸大国にかたよる傾向を示した。この西欧志向は,明治いらいの〈文明開化〉主義を反映するものであり,日露戦争とともに根づいた国史,東洋史,西洋史の三学科体制と相まって,アジアにおける日本の先進国意識が歴史の研究・教育を深く規定するようになった。…
※「大類伸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」