大鹿新田(読み)おおじかしんでん

日本歴史地名大系 「大鹿新田」の解説

大鹿新田
おおじかしんでん

[現在地名]新津市大鹿

新津村から西へ延びる自然堤防上にあり、東は古田こだ新田、西は小戸こど新田。室町中期までは菰蒲繁茂の湿地で、鹿が群生していたため大鹿の名が付いたといわれる。大鹿開墾の用水は当時新津村の南方を流れていた能代のうだい川から取入れたが、天文年間(一五三二―五五)能代川が今の川筋になり、水利の便を失った。文禄年間(一五九二―九六)に字山崎やまさきに土堰を創設して字切所きりしよ溜池から分流して用水路を修築し、一七軒の切立百姓が開墾したと伝える。

大鹿新田
おおじかしんでん

[現在地名]妙高村大鹿

せき川右岸にあり、対岸橋本はしもと新田、南東大鹿村に続く。天和三年郷帳では大鹿村の新田が二つ記され、一つは高五七石五斗余で、もう一つは高八四石六斗余、うち山高一斗四升二合・漆高一石二斗四升である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報