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フランス映画。1935年作品。37年(昭和12)日本公開。監督ジャック・フェデー、原作シャルル・スパーク、脚本フェデー、ベルナール・ジンメル、美術ラザール・メールソン。1616年、小国フランドル(現在ベルギー)の小都市ボームに、当時最強のスペイン軍が侵入してきた。市長以下男どもはなすすべを知らない。しかし市長夫人(フランソアーズ・ロゼー)が音頭をとり、女たちだけで適当に侵入軍をあしらい、無事に兵隊を通過させたという歴史喜劇である。全編にまかれた皮肉、風刺、機知の豊かさ、フランドル派の絵画を思わせる堂々たる造形美、まさに芳醇(ほうじゅん)なシャンパンのような芸術的芳香が漂う佳品であり、フェデーとしても一世一代の作品である。映画史のうえからは、トーキー初期の表現技術がいちおうの完成をみせた成果がこの映画に凝結し、映画による芸術活動がここに始まったといえる、1930年代最高の記念碑的作品である。
[飯島 正]
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…〈プロダクション・デザイナー〉の呼称はメンジーズに始まる。これに対して,フランドル派の絵画をスクリーンに再現して,歴史映画におけるリアリズムの基礎を築いたとされる《女だけの都》(1935)のジャック・フェデル監督や,パリの下町の風景をそっくりオープンセットに再現して,〈巴里〉のイメージを決定的にした《巴里の屋根の下》(1930),《巴里祭》(1932)のルネ・クレール監督に協力して,複雑なカメラワークや微妙な照明を画面に生かしうる装置を設計したメールソンLazare Meerson(1900‐38)は後者を代表し,美術監督の地位の向上に貢献した。メールソンの弟子のトローネルAlexandre Trauner(1906‐93)の仕事は《天井桟敷の人々》(1944)を代表とするマルセル・カルネ=ジャック・プレベール作品に結実し,〈詩的レアリスム〉の名のもとにフランス映画の黄金時代を築くとともに,大戦後はハリウッドにも招かれ,ビリー・ワイルダー監督作品(《アパートの鍵貸します》(1960),パリの中央市場を再現した《あなただけ今晩は》(1963),等々)などを介して,アメリカ映画における美術監督の概念を変容せしめた。…
…その後,アルプス山ろくの寒村を背景に少年と継母の心理的交渉を描いた《雪崩》(1923),写真屋に飾られた写真の女をもとめてさまようというジュール・ロマンのオリジナルシナリオによる〈ユナニミスム文学〉のロマンティックな映画化《面影》(1924),エミール・ゾラ原作の《テレーズ・ラカン》(1928)などをつくり,28年にはフランス国籍をとったが,ロベール・ド・フレールとフランシス・ド・クロアッセの喜劇をもとにした風刺映画《成上りの紳士たち》(1928)が議会と閣僚の威厳を非難するものとして公開禁止になり(1929年になって解除された),失意のうちにハリウッドへ渡り,グレタ・ガルボの最後のサイレント映画《接吻》(1929)を撮るとともに,ガルボ映画《アンナ・クリティ》のドイツ語版(1930)などをつくるが,ハリウッドになじめず31年に帰国した。 同じベルギー出身の脚本家シャルル・スパーク(1903‐75)との共同脚本と夫人のロゼー主演の《外人部隊》(1934),《ミモザ館》《女だけの都》(1935)は1930年代フランス映画の代表作であるにとどまらず,世界映画史を飾る作品に数えられているが,《女だけの都》はナチの侵入後ゲッベルスによって公開を禁止され,フェデルは戦争の間スイスへ避難することを余儀なくされた。そのほか,アレクサンダー・コルダに招かれてイギリスでマルレーネ・ディートリヒ主演の《鎧なき騎士》(1937),ドイツで《旅する人々》(1938)などを撮っている。…
※「女だけの都」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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