如円尼(読み)にょえんに

朝日日本歴史人物事典 「如円尼」の解説

如円尼

没年寛正1(1460)
生年:生年不詳
室町時代真宗の尼。本願寺7世存如の妻。応玄,玄康の母。海老名氏の出とされ,応永27(1420)年ごろ存如のもとに嫁ぎ,その際,存如の長男連如の生母が本願寺を退去したと伝える。存如の死に際し,畿内の門末の支援により応玄の擁立をはかったが,本泉寺如乗(存如の弟)の反対で,連如が8世となった。この事件後,母子とも連如に従った。如円尼の13回忌には,「御文」で信心ぶりを賛嘆された。変成男子の願により五障三従の身を離れ極楽往生したとされ,真宗女性の信心の手本とされた。<参考文献>宮崎円遵『真宗史の研究

(遠藤一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「如円尼」の解説

如円尼(2) にょえんに

?-? 鎌倉時代尼僧
律宗東大寺の厳寛の妻となり,聖守(しょうしゅ),円照,円性尼を生む。仁治(にんじ)2年(1241)夫の死後,西大寺叡尊(えいそん)に師事し法華(ほっけ)寺にはいる。円照にまなび,のち同寺をついだ。

如円尼(3) にょえんに

?-1460 室町時代の尼僧。
浄土真宗。応永27年(1420)ごろ本願寺7世存如の妻となり,応玄,玄康を生む。存如の死後,応玄に跡をつがせようとしたが,存如の先妻の子蓮如が8世となった。寛正(かんしょう)元年死去。

如円尼(1) にょえんに

?-? 平安時代前期の尼僧。
淳和(じゅんな)天皇の妃(如意尼)の侍女。天長5年(828)妃とともに宮を出,8年妃が創建した摂津甲山(かぶとやま)(兵庫県)神呪(かんのう)寺で如一尼とともに出家した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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