円照(読み)えんしょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「円照」の意味・わかりやすい解説

円照
えんしょう
(1221―1277)

鎌倉中期の律宗の僧。俗姓は藤原氏。中道聖守(ちゅうどうしょうしゅ)(1219―1291)の弟。奈良の人。実相と号す。良忠(りょうちゅう)、禅慧(ぜんえ)、叡尊(えいぞん)などに受法し、1251年(建長3)東大寺戒壇院(かいだんいん)主となる。同年、円爾(えんに)に参禅し印可を得る。1257年(正嘉1)東大寺大勧進(だいかんじん)となって伽藍(がらん)修造に努め、建治(けんじ)3年10月22日57歳で寂す。戒壇院中興と称され、10余か寺をつかさどり、真照(しんしょう)(生没年不詳)、忍空(にんくう)、凝然(ぎょうねん)など弟子100余人を輩出した。

[中尾良信 2017年5月19日]

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関連語 無外円照

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「円照」の解説

円照(2) えんしょう

1221-1277 鎌倉時代の僧。
承久(じょうきゅう)3年生まれ。聖守(しょうしゅ)の弟。良遍に法相(ほっそう)を,覚盛(かくじょう)と叡尊(えいそん)に律を,円爾(えんに)に禅をまなび,教律禅の一致をとなえる。建長3年東大寺戒壇院にはいり律の再興につとめる。正嘉(しょうか)元年造東大寺大勧進となった。建治(けんじ)3年10月22日死去。57歳。大和(奈良県)出身。号は実相房。

円照(1) えんしょう

1139-1177 平安時代後期の僧。
保延(ほうえん)5年生まれ。藤原通憲の3男。平治の乱で配流。21歳で出家し京都西山の広谷にすむ。ひたすら念仏をとなえる姿は,法然の思想影響をあたえた。治承(じしょう)元年死去。39歳。俗名は藤原是憲。号は遊蓮房。

円照(3) えんしょう

無外円照(むがい-えんしょう)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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