日本歴史地名大系 「妙法山」の解説 妙法山みようほうざん 和歌山県:東牟婁郡那智勝浦町平野村妙法山那智山の南西にあり、標高七四九メートル。光(ひかり)ヶ峯・最勝(さいしよう)峯とともに那智三峯の一。山頂には釈迦堂があり、俗に奥之院とよばれる。奥之院から北に向かう藪道をたどると大雲取(おおぐもとり)越に出る。信仰と行楽を兼ねた参詣者が多い。伝えによれば、妙法山の名は往古、蓮寂が法華三昧を修行し、頂上を十方浄土として法華経を埋納したことにちなむという。住心院僧正実意の応永三四年(一四二七)の「熊野詣日記」には「妙法山ハ、空摂和尚法花経をかき、供養して塔婆に安置せられたる、千仏涌出しましましけるとかや」とある。 妙法山みようほうざん 京都市:左京区松ヶ崎村妙法山松ヶ崎(まつがさき)の北方にある東山(一八六・五メートル)・西山(一三三メートル)をいう。毎年八月一六日夜に行われる五山の送り火の時、妙・法の二文字が点火される。西山には「妙」が、東山には「法」が描かれている。「妙法」の成立は、涌泉(ゆうせん)寺の寺伝に、徳治二年(一三〇七)松ヶ崎の村民が法華宗に改宗した時、日像が西山に「妙」の字を書き、下鴨大妙(しもがもだいみよう)寺の日良が東山に「法」を書いたという。松ヶ崎「皆法華」に仮託された伝承であろうが、文字の配列は「妙法」が左から書かれているところからみると、同時にできたものではなく、まず「妙」が作られ、次いで「法」が作られたのであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by