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姉小路氏 あねがこうじうじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

姉小路氏
あねがこうじうじ

(1) 三条実房の子公宣を祖とし,数代で断絶したが,阿野実顕の3男公景が再興した。明治になり伯爵。 (2) 藤原師尹 (もろただ) の子孫で,飛騨国司家。建武中興の際,家綱が飛騨国司に任じられ,以後子孫が継承したが,天正 13 (1585) 年金森長近に滅ぼされた。

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百科事典マイペディアの解説

姉小路氏【あねがこうじうじ】

(1)藤原氏北家小一条流。建武新政のとき家綱が飛騨国司になってより,代々小島城によって国司に任ぜられたが,1585年豊臣秀吉の将金森長近(ながちか)に滅ぼされた。
→関連項目飛騨国

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世界大百科事典 第2版の解説

あねがこうじうじ【姉小路氏】

飛驒国司家。世にいう三国司の一つ。藤原師尹の子済時が姉小路氏を称し,その裔が,鎌倉後期に飛驒に所職を有していたらしいが,家綱のとき,建武年中(1334‐38)に南朝のいう御料の一国である飛驒の国司に任ぜられたといい,南朝方として活躍し,1378年(天授4∥永和4)従三位参議に叙任された。家綱のあとの師言は,後亀山法皇還御の翌1417年(応永24),従三位参議に叙任され,ついで持言,勝言と継いだ。応仁・文明前後,勝言は吉城郡小島郷神通川以西の地頭職を有して小島城に拠り,之綱は小島向(小鷹利)を,昌家は古河郷を領し,小島,小鷹利,古河の3家が並立し互いに抗争した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

姉小路氏
あねがこうじうじ

(1)藤原氏北家(ほっけ)閑院流の公家(くげ)。13世紀初め三条実房(さんじょうさねふさ)の第3子公宣(きんのぶ)が京都・姉小路に住し家名となった。数代にして中絶。江戸初期、阿野実顕の子公景(きんかげ)が家名相続再興した。幕末の公知(きんとも)は攘夷派(じょういは)の公家として奔走、暗殺されたことで有名。明治維新後、その子公義は伯爵を授けられた。
(2)藤原氏北家小一条流、師尹(もろただ)の子孫の家綱(いえつな)が、南北朝時代に飛騨(ひだ)国司に任ぜられた一流。飛騨国司家ともいう。北畠(きたばたけ)(伊勢(いせ))、一条(土佐)氏と並んで三国司家といわれる。代々公卿(くぎょう)にも列し京都と往来した。戦国時代同国小島城により活躍したが、自綱(よりつな)は織田信長、豊臣秀吉(とよとみひでよし)に抗し、1585年(天正13)秀吉の将金森長近(かなもりながちか)に攻められ滅亡した。[飯倉晴武]

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世界大百科事典内の姉小路氏の言及

【三国司家】より

…南北朝期から戦国末年にかけて,それぞれの国の国司として,領国経営を行った三家の総称。1548年(天文17)の述作という《運歩色葉集(うんぽいろはしゆう)》や《貞丈雑記(ていじようざつき)》などでは,飛驒国司姉小路氏,伊勢国司北畠氏,阿波国司一宮氏を三国司と称し,また合戦記ながら史料的価値も比較的高いとされる《足利季世記(あしかがきせいき)》では,姉小路氏,北畠氏に加えて土佐一条氏を挙げている。また江戸初期に成立した《甲陽軍鑑(こうようぐんかん)》などでは,伊勢,伊予,奥州を称するなど,諸書によって異同がある。…

【飛驒国】より

…荘園についても河上荘,白河荘の2荘の存在が確認されるのみで,国衙領の長期にわたる残存が指摘される。 岩松氏の守護在任期間は未詳だが,1359年(正平14∥延文4)以降は代々佐々木京極氏が守護となり,一方,建武政権下復活された国司にははじめ伊達行朝が,次いで姉小路氏が就任した。姉小路氏はやがて伊勢北畠氏,土佐一条氏とともに世に三国司と称され大名化するが,1411年(応永18)姉小路尹綱が広瀬常登とともに南朝の再起を図って挙兵,討死した。…

【古川[町]】より

…宮川沿いに国道41号線と高山本線が通じる。中心集落の古川は中世後期に飛驒国司家の姉小路(あねがこうじ)氏の拠点となり,近世には高山と富山を結ぶ越中西街道の中継地として栄えた。農林業を主とし,耕地に乏しい飛驒地方の中心的な米作地帯である。…

【三木氏】より

…出自についても京極氏支流多賀氏一族説など諸説ある。直頼のとき,永正末年益田郡の大半を攻略して萩原上村に桜洞城を築城,大永年間(1521‐28)には高山盆地に進出,本願寺門徒や高原の江馬氏,古川の姉小路氏などとの協調の上に飛驒での権力基盤を確立した。良頼,自綱(よりつな)の代には上杉氏,武田氏など周辺諸勢力と複雑に離合しつつ,1560年(永禄3)姉小路氏の名跡を継いで国司を号し,織田信長の美濃攻略以後は信長に好誼を通じた。…

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