日本歴史地名大系 「宇和島城跡」の解説
宇和島城跡
うわじまじようあと
〔丸串城〕
中世には、
宇和島城が近世城郭としての規模を備えはじめるのは、文禄四年(一五九五)七月藤堂高虎が宇和郡のうち七万石の領主となり、丸串城を本城と定めてからである。「宗国史」に「慶長元丙申年八月修ス板島城」とある。慶長元年八月に本格的な築城が始まり、同六年にほぼ完成した(高山公実録)。
高虎は、慶長五年関ヶ原の戦功により、伊予国のうち二〇万石を与えられ、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報