日本歴史地名大系 「宇良村」の解説 宇良村うらむら 長崎県:北高来郡高来町宇良村[現在地名]高来町水(みず)ノ浦名(うらみよう)・溝口名(みぞぐちみよう)・汲水名(くみずみよう)・坂元名(さかもとみよう)・山道名(やまみちみよう)湯江(ゆえ)村の南東に位置し、同村との境を流れる境(さかい)川は有明海に注ぐ。卯良(嘉永七年佐賀領郷村帳)・浦とも記す。東部の水ノ浦名の城(じよう)ノ下(した)・城(じよう)ノ辻(つじ)は古城に関連するという。汲水の集落では屋敷回りを大きな礫石の石垣で囲み、クネギという庭木を植えて屋敷を覆うようにしていた。天正一二年(一五八四)龍造寺隆信に代わって鍋島直茂が高来(たかく)郡などを掌握するに伴い、一〇月一六日付で直茂に起請文(佐賀県立図書館蔵)を差出した西郷氏一門一四名のなかに宇良左衛門佐尚保がみえ、当地を拠点にした者であろう。江戸時代は諫早(いさはや)郷に属し、初期には黒丹田(くろんた)村は当村のうちであった。 宇良村うらむら 沖縄県:沖縄島北部国頭村宇良村[現在地名]国頭村宇良(うら)辺土名(ふいんとな)村の北東に位置し、西は東シナ海に臨む。集落は宇良(うら)川河口の沖積地に立地する(間切集成図など)。絵図郷村帳に国頭(くんじやん)間切「うら村」とみえる。琉球国高究帳では「うら村・とへさ村」と併記される。「琉球国由来記」では宇良村と記され、当村の拝所である神アシアゲ・トヒチヤ神アシアゲは辺土名ノロが祭祀を管轄。「中山伝信録」巻四では宇郎と記され、前掲由来記では国頭間切の間切役人のなかに宇郎掟がみえる。宇良親雲上の知行地とされ、雍正―乾隆年間(一七二三―九五)には曹姓(平敷家)の六世慶盈・七世慶近が「国頭間切宇良地頭職」を勤めている(曹姓家譜)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by