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宇都宮国綱 うつのみや くにつな

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宇都宮国綱 うつのみや-くにつな

1568-1608* 織豊時代の武将。
永禄(えいろく)11年生まれ。宇都宮広綱の子。下野(しもつけ)宇都宮城主。豊臣秀吉小田原攻めにくわわり,本領を安堵される。慶長2年秀吉の命にそむいたとして領地を没収された。所領回復の努力もむなしく,流浪のすえ慶長12年11月22日江戸浅草で死去。40歳。通称は弥三郎。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

宇都宮国綱

没年:慶長12.11.22(1608.1.9)
生年:永禄11(1568)
安土桃山時代の武将。広綱と常陸国佐竹義昭の娘南呂院の子。幼名伊勢寿丸。従四位下。下野守,木工頭,侍従を歴任。天正6(1578)年に父より家督を継承。下野北東部の那須氏,下総の結城氏,常陸の佐竹氏らと盟約を結び,小田原北条氏北関東進出に対抗した。しかし北条氏の攻勢のなかで,天正13年8月本拠を平城の宇都宮城から堅固な山城の多気山城に移さざるを得なかった。天正18年の小田原攻めでは豊臣秀吉の下に参陣し,本領を安堵された。ところが,秀吉の部将浅野長政の子を養子にとの申し出を拒否して長政と対立し,慶長2(1597)年には秀吉の命で改易に処せられた。国綱は,「何方へも罷り越し,主(主君)取り」してもよいといって家臣を思いやった。その後も朝鮮出兵での戦功により再興を期すが,秀吉の死によってかなわず,武蔵の石浜で没したという。なお没した日を12月22日(1608年2月8日)とする説もある。

(荒川善夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

うつのみやくにつな【宇都宮国綱】

1568‐1607(永禄11‐慶長12)
安土桃山時代の武士。宇都宮広綱の子。弥三郎,下野守。佐竹義重と結び後北条氏に抗戦した。1590年(天正18)豊臣秀吉の北条氏直討伐のとき,小田原に参陣し本領下野国宇都宮を安堵された。しかし継嗣問題をめぐり秀吉の部将浅野長政と対立,97年(慶長2)秀吉から改易に処せられ,備前宇喜多秀家に預けられた。その後所領回復を期したが秀吉の死によってかなわず,武蔵浅草で没した。【市村 高男】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宇都宮国綱
うつのみやくにつな
(1568―1607)

安土(あづち)桃山時代の下野(しもつけ)(栃木県)の武将。広綱(ひろつな)の子、母は佐竹義昭(さたけよしあき)の女(むすめ)。弥三郎(やさぶろう)、下野守(かみ)。北条氏の下野侵攻に一時屈服するが、1590年(天正18)豊臣(とよとみ)秀吉の小田原征伐に多功綱継(たこうつなつぐ)や芳賀高武(はがたかたけ)を遣わし、自らも秀吉の旗下に馳(は)せ参じた。北条氏滅亡後、本領18万7000石余を安堵(あんど)され、従(じゅ)四位下に叙された。92~95年(文禄1~4)の朝鮮出兵(文禄(ぶんろく)の役)に参加。97年(慶長2)石高隠匿の罪で所領を没収され、備前(びぜん)(岡山県)の宇喜多秀家(うきたひでいえ)に預けられた。慶長(けいちょう)の役に参陣を許され、所領回復の望みをつないだが、秀吉の死によって実現しなかった。のち諸国を流浪し、慶長12年11月22日武蔵(むさし)石浜で病没し、総泉寺に葬られた。[新川武紀]

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世界大百科事典内の宇都宮国綱の言及

【下野国】より

…那須氏が興廃の淵に立たされたとき,秀吉の陣営にいち早く伺候して参陣を誓約していたのは,上那須衆を代表する大田原城主大田原綱清の嫡子晴清,黒羽城主大関高増であった。また秀吉の陣営に参陣して所領安堵された勢力では,秀吉らの支援で唐沢山城を前城主佐野宗綱の弟了伯が後北条氏から回復しており,さらに宇都宮国綱が,佐竹義宣を後見として生き延びていた。 以上が秀吉の小田原征伐をめぐる激しい興亡の動きであるが,わずかに残ったのは宇都宮,皆川,佐野の3氏と那須衆のみであった。…

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