改訂新版 世界大百科事典 「宇都宮家式条」の意味・わかりやすい解説
宇都宮家式条 (うつのみやけしきじょう)
鎌倉時代に定められた下野の豪族的領主宇都宮氏の家法。《宇都宮家弘安式条》ともいう。鎌倉幕府の評定衆・引付衆であった宇都宮景綱の制定。全70ヵ条。巻頭に〈私ニ定置条々 弘安六年癸未〉とあり,1283年(弘安6)宇都宮氏の私的な家法として定められたことがわかる。武家法としては最も早いものの一つであり,成立時期については後年の仮託説など異論もあるが,現在では弘安6年説が有力。幕府の基本法典たる《御成敗式目》より約50年後の成立であり,その影響を強く受ける。内容は,(1)社寺に関する規定,(2)相論・訴訟や裁判方法に関する規定,(3)一族・郎党に対する統制規定など。宇都宮氏が代々宇都宮二荒山神社の社務職を世襲したことから,(1)が全体の3分の1,24ヵ条に及んでいることは一つの特色である。また裁判に関する詳細な手続方法や市場統制策,町屋についての条文なども注目される。総じて宇都宮氏の在地支配の在り方をうかがう好個の史料といえる。
執筆者:新川 武紀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報