安倍寺跡(読み)あべでらあと

日本歴史地名大系 「安倍寺跡」の解説

安倍寺跡
あべでらあと

[現在地名]桜井市大字阿部

安倍文殊あべもんじゆ院の西南約三〇〇メートルにあり、俗に仲麻呂屋敷なかまろやしきとよばれる。文殊院の前身崇敬すうきよう(安倍寺)の旧寺地(→安倍文殊院と推定され、国史跡。塔を左(西)側、金堂を右(東)側とした法隆寺式伽藍配置であったと考えられる。講堂跡推定地の西方中世瓦窯跡が五基検出されている。

〔刊行後の調査の進展〕

昭和四二年(一九六七)の発掘調査で主要伽藍は判明していたが、平成二年(一九九〇)隣接する西側地域を調査したところ、石垣をもつ溝が検出された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「安倍寺跡」の解説

あべでらあと【安倍寺跡】


奈良県桜井市安倍にある飛鳥時代の寺院跡。安倍寺は大化の改新のときに左大臣に登用された安倍倉梯麻呂(くらはしまろ)の氏寺として、645年(大化1)に創建されたと伝えられている。飛鳥から桜井に通じる街道の西側にあり、仲麻呂(なかまろ)屋敷と呼ばれている方形の土壇と、その南北に長い土壇、東方土壇の西北に三角形の土壇が遺存する。1965年(昭和40)に行われた発掘調査の結果、主要伽藍(がらん)の配置が明らかになり、1970年(昭和45)に国の史跡に指定され、史跡公園化が図られた。伽藍の配置は西に塔、東に金堂、北に講堂を置く法隆寺式で、回廊は講堂に取り付くとみられる。仲麻呂屋敷は推定どおり15m2の塔跡で、その西に接して幅5mの基壇があり、塔の北約20mのところで東に曲がっていることが確認され、塔跡の西約60mのところで、南北方向に2列の柱穴列も発見された。出土遺物は、創建期のものと推定される山田寺式の単弁蓮華文の軒丸瓦(のきまるがわら)などがみられるほか、土器、素文鏡、金環などで、7世紀中ごろから平安時代にかけての遺物が多い。近畿日本鉄道大阪線桜井駅から奈良交通バス「生田」下車、徒歩約2分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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